まずは、身近な報告を。弊社の裏、隣の病院の建物との間の、日当たりの極めて悪い空地に残っていた雪が、今日、完全に消えた。四月半ば、雪解けを待ち兼ねていたように白い頭を出した我が菜園のアスパラガス、しばらく気温が低い日が続いて伸び悩んでいたが、ここのところの陽気が幸いし、あと三日ほどで四本は食べられそうだ。昨夏、我慢して収穫を控えたせいだろう、どれも私の親指ほどの太さ。どうか、遅霜に見舞われませんように。

前週、函館市街をトコトコ走る路面電車について書いた。旭川にも、路面電車が走った時代があったのだと。独り善がりの“無いものねだり”の物言いかと少々心配だったのだが、予想に反して、手紙やメール、電話で読者から反響が寄せられた。三浦綾子記念文学館の素敵なハガキに「突然ペンをとり、お礼を申し上げたくなりました」との便りを頂戴したのは、「主人八十四才、私七十八才。現役です」という女性から。望外のお褒めのお言葉で照れますが、紹介すると――

「日刊時代からの愛読者で、日刊時代、ある記事で工藤さんが取材に見えお話し、大きく取り上げていただきました。あの当時からとても素敵な方と思っておりました。火曜日は主人が読み終わってからゆっくり私が読みます。主人も私も勿論編集長の直言からです。特に今日の路面電車の記事は、主人も私も共通の山程の思い出があり、一日中話題が尽きませんでした。外出はほとんど電車の時代でした。函館の素晴らしさ、温かさは、工藤さんのおっしゃる通り、路面電車そのものでしょうね! 今日の祝日は工藤さんの新聞の影響かなと思う程、当時がしのばれて楽しくなつかしい一日でした。主人との話もはずみました」

自慢したいわけではなくて、「とても素敵な…」なんて言われた経験など無いものですから、つい、舞い上がっちゃう気分でして…、あっ、立派に自慢してるか、失礼をば。

もうお一人、こちらはメールで届いた。文面から、五十歳の、多分、女性の読者とお見受けする。

「本日の直言欄の路面電車についてですが、確かにあの路線は五十年前に廃止でしょうが、旭正方面と旭山行きの電車は、その後も十三年くらい走っていたはずです。私は昭和三十三年生まれの今年五十歳。小学校高学年の頃、友だちと電車で旭山動物園まで行ったり、中学一年生の時には、旭正行きの電車に乗って部活の合宿に参加しましたが、翌年からバスに転換したのを覚えています。今や全国的な人気スポットとなった旭山動物園のふもとまで、もしあのまま電車が走っていたらと残念です。動物園通りの渋滞も少しは緩和され、今なら、さぞドル箱路線になったことでしょうね。私でさえ、電車に乗って動物園に行きたいですもん!」。

この方のおっしゃるように、もし、旭山行きの路面電車が今も走っていたら…、とその風景を想像するだけで、五十路を過ぎて還暦までもそう遠くない私でさえ、その夢想にうっとりしてしまう。和人が移り住んでから百二十年に満たないこのまちの、どんな精神風土がトコトコ電車から、ある面で効率の良いバスへの転換を推し進めたのだろう。電車を残した函館や札幌との違いは、何だったろう。そんな思いに駆られるメールだった。

旭川兵村記念館(東旭川南一ノ六・旭川神社境内)で始まった特別展「日本最北の電車が走った町」について、教えてくれるメールも届いた。「今頃の花見には、旭山公園に酔客で満員電車だったのを思い出します」とのこと。現在のJR旭川四条駅付近と東川・東旭川の旭山バス停付近を結んでいた旭川電気軌道の路面電車の写真や運転部品、新聞記事などが展示され、往時をたどる企画展。動物園に行った折、立ち寄ってみてはいかが。入館料は大人五百円、高校大学生四百円、小中学生は二百円。火曜日休館(きょう六日は開館)。

春本番の陽気のせいか、ダラダラと書き連ねてしまった。今週は、小さな枕と長い枕を並べて春眠の形、ということでお許しを――。

ご意見・ご感想お待ちしております。