北京オリンピックが始まった。新聞もテレビも「五輪一色」の様相である。「独裁下の『平和の祭典』」などという、第二次大戦直前のヒトラー・ドイツのオリンピックを連想させる物騒な見出しの論評を掲げた読売新聞も、何のことはない、一面トップにドーンと全三段で開会式での日本選手団の写真を掲載しちゃってるし。

米国で暮らした知人によれば、彼の国ではオリンピックの放送は、「一部の放送局が、一日のうちのちょこっとした時間、流すだけ」なのだそうな。天下に冠たる公共放送がないせいもあろうが、早朝でも、深夜でも、暇なしにオリンピック中継を流しまくっている日本は、「ある意味で、特殊な国なんだと思うな」と彼は言う。

「期待する競技は何ですか?」と、街角でテレビのリポーターがマイクを向ける光景が、日常的に報道される。「やっぱり星野ジャパンでしょう」などと訳知り顔で答える、恐らく標準的な日本のオジサンやオバサンを見せつけられると、きっと標準的でない、へそ曲がりのオジサンは、「けっ」と顔をそむけたくなる。

血統書付きじゃないけど阪神ファンだし、星野の野球解説も悪くはないけれど、大リーガーが出場しない大会で、金メダルだの、世界一だのと騒ぐ意味が理解できない。金を稼ぐための、いわばショーの世界に身を置くプロの競技者が、日の丸背負って、お国のために必死になってるフリをさせられるって、気恥ずかしくはないのかな…。枕は、ここまで。

好物の一つにラーメンがある。五十路をはるか過ぎて、あと三年でなんと還暦に達しようとする年齢に到ってなお、したたか飲んだ後に「締めはラーメンだな」。店に入ると「ラーメンにはライスでしょう」などと口走ってしまうアホな自分がいる。小学校に上がる一年前、高林デパート(固有名詞を出してすみません)の食堂で生まれて初めてラーメンなる食べ物を口にして以来、一体、何杯食べてきたことだろう。

過日、行き付けのラーメン店で材料高騰の話になった。自家製麺を使っているという店主によれば、麺の材料の小麦は昨年以来、三度の値上がりで、一年前のちょうど二倍の値段になったと言う。「肉も、油も、メンマも、全部値上がり。上がってないのは、水だけだな」と。この店では、六月から五十円値上げした。「それでも、全然合わない。これから肉もまだまだ上がるというけど、これ以上値段に転嫁するのは無理」と言いつつ、「車で来ていた家族連れの数が、このところ明らかに減った。ガソリンが高くなって、車を使わなくなったということでしょうね。コストが高くなって、おまけに売り上げが激減する。うちは、母ちゃんと二人、自宅で商売しているから、まだ我慢できるけど、店を借りて、人を雇ってやってる人は、大変でしょうね」と浮かない表情だ。

フランチャイズを展開しているラーメン店主に電話で尋ねてみた。彼は言う――

「二十年ほど前までは、ラーメンは安い食べ物の代名詞だった。それがバブル期のグルメブーム以降、いい材料を使って、旨いモノを提供し、それ相応の値段を取れる食べ物として定着した。特に、旭川のラーメン屋は、自画自賛する訳ではないが、全体としてのレベルは、全国的に見てもかなり高い。切磋琢磨して、各店がそれぞれ研究したり、工夫して来た結果だと言える」

「いま、東京のラーメンの値段の中心は、一杯八百円。もちろん、東京だから、いまだに五百円とか、四百五十円とかの店もあるが、繁盛している店は八百円が普通。旭川のラーメン屋も、材料がいくら値上がりしても、そのまま値段に転嫁できないだろうが、培って来た知恵と踏んばりで、乗り切るしかないね。心配ないって、真面目に商売している店は潰れないから」

「実は今、安い麺を作れないかと思って、東京に来ているんだ。どうしてだか分からないけど、東京の麺は、昔から北海道のメーカーのほぼ半値なんだ。味は、もちろん北海道の麺の方が格段に上だけど、さ」だと。

急激なインフレが進む一方で、企業の業績も、個人所得も減退する、まごうことなき「スタグフレーション」の時代。他人事みたいだけれど、みんな生き残るために動き回ってるんだな…、そんなこんなを思いつつ、あぁ、ラーメンが食べたくなって来たゾ――。

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