安倍晋三さんが突然、総理大臣の職を放り投げ、自民党の中で「さて次は誰にする」と大騒ぎしていた昨年九月、私は本欄で次のように書いた。

新聞もテレビも、福田さんと麻生さんの追っ掛けのような様相だ。入院しているとされる現職の総理大臣の話題は、ほとんど報じられず、「麻生さん面白い」「福田さん安心感」みたいな報道が連日垂れ流される。直にお会いしたり、話を聞いたりしているわけではないから、福田VS麻生にとやかく言うつもりはないが、日本の政界の人材難、あるいはその資質、レベルを露呈していると感じ、シラケてしまった一つの光景――。

十六日、東京・渋谷で行われた街頭演説の報道で、麻生さんが聴衆の笑いを誘ったという場面。「最近、キャラが立ち過ぎて、古い自民党の皆さんに評判の良くない麻生太郎です…」。意味不明。十誌以上の漫画週刊誌を定期愛読しているというお方だから、「キャラが立ち過ぎる」というのは、その漫画オタクの世界の共通語なのか、と想像するしかなかった。まともな日本語を話せない男の形容詞に「庶民感覚を持った」なんて使うな。英語ペラペラが自慢らしいが、英語を話せて偉いんなら、米国人や英国人の大半が偉い人になるぜ、まったく。

何と、その「キャラが立ち過ぎる」お方が、今回の本命だと。さらに、去年は候補はお二人だけだったが、今年は五人だか、六人だか…。直後にも予想される衆院解散・総選挙を睨んで、選挙区で苦戦が予想される議員さんが顔と名前を売るために総裁選に手を挙げる、なんて例もあるやに漏れ伝わる。揚句、総裁選でお祭り騒ぎ状態のマスコミ効果に乗って、目くらまし作戦に弱い国民がドタバタ劇場の余韻に酔っている間に、衆院を解散して選挙をやっちゃえ、か…。国民をなめ切った策謀が、果たして思惑通りに展開するのかどうか、これからのこの国の命運を左右する選挙になるのだろう。他人事みたいに聞こえるかもしれないけど、さ。枕はここまで。

このところ、エコブームに乗せられたわけではなく、健康を考えてでもなくて、ただただ、いちいち駐車場に車を入れる面倒がいやで、会社から買物公園周辺に出かける時には、自転車を使うことが多い。自転車通勤をしている若い社員たちの目には、かなり危なげな運転に映るらしいが、本人は風を切って良い気分。車のハンドルを握っていては目に入らない、秋の街の景色を楽しんでいる。

ところで、買物公園は歩行者専用道路だから、自転車の走行はダメ。知ってはいたが、実際に自転車を使う側の身になってみると、この規制、何とも不便極まりないのだ。例えば、八条通六丁目の弊社から七条通八丁目のこども冨貴堂に寄って、五条通七丁目の洋食屋で昼メシを食べ、それから二条通八丁目のカメラ屋さんを目ざすとする。気持ちとしては、七条緑道の緑陰を走り、昭和通りを突っ切って、買物公園に入り、そのまま通りを自転車で走りたい。だが、そうはいかない。こども冨貴堂から、一度緑橋通りに出て、四・五仲通りまで行って右折して…。カメラ屋さんに向かうのも同じこと、一旦昭和通りまで戻り、二条本通りまで走って…。

思う。この商店街、向かってくるお客に「来るな!」と叫んでいる、と。

買物公園が、日本初の恒久的「歩行者天国」としてオープンした一九七二年(昭和四十七年)当時の写真を見ると、なるほど自転車が走る余地などない。人、人、人の波なのだから。そうした雑踏を狙って撮ったのだろうが、往時を知る方の話を聞いても、その賑わいぶりは分かる。だが三十年以上を経た今、休日でも人通りは比べるまでもない。まして、街路は整備されて広々としている。自転車が走行できるレーンを設定し、ルールとしての緩やかな速度も決めて、自転車の走行を許せばいい。

「事故が起きたら誰が責任を取るんだ」「そうでなくても放置自転車で困ってるのに」「日本初の歩行者専用道の誇りがすたれる」等々、異論は数々あろう。だが、である。環境問題がクローズアップされ、燃料高騰が暮らしを圧迫する世相ではないか。郊外に広大な敷地を構える大型ショッピングセンターが逆立ちしたって真似が出来ない「エコ・ショッピング」を商店街挙げて打ち出すチャンスではないか。雪のない季節は、一条と八条にレンタサイクルを置いて、「サイクル・ショッピング」を売りにするのもいいかも知れない。冷たさだけが印象的なリニューアル後の通りが、歩行者と自転車が共存することで、温かなイメージを取り戻せるのではないかな…。

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