積もった雪が解けかけた朝、犬の散歩で堤防を歩いていると、犬が立ち止まって空を見上げる。私も、つられて見上げる。口をポカンと開けて見上げる犬と私の上空を、三羽のハクチョウが北の方角から「カウゥー カウゥー」と鳴き交わしながら、南に向かって飛んで行った。晩秋と初冬が重なる季節の、いつもの風景なのだけれど、いつも、何やらうら寂しい気分にさせられ、同時に、「忙しい年末を乗り切って、三カ月もすれば、春が来る」と思い直す。私にとって、十一月半ばは、そんな時季だ。

ニシン漬を漬けた。知人の経営者が趣味で営む農園で収穫したダイコンと、我が菜園で育てたニンジン、キャベツと麹は自然食品の店「北海道大地」から、身欠ニシンは十五丁目の魚住鮮魚店で、生姜だけは近くのスーパーマーケットの特売品だけど、取り合えず国内産…。この時季にニシン漬を漬け込むのは三年目。今年初めて、娘が手伝ってくれた。樽にキャベツ、ダイコン、ニンジン、ニシン、生姜、麹をパラパラ、そして塩を振って、という順に重ねて行く。大きく乱切りにしたダイコンとキャベツ、生姜の黄色に赤いニンジン、米の研ぎ汁にひと晩うるかした(浸けたという意味の正しい北海道弁)身欠ニシン、そして白い麹が描き出す樽の中の“絵”に、娘が「わぁ、きれい」と声をあげた。

私が塩を振る手付きを横で見ている家人が「お義母さん、そっくり」と笑う。娘が「血かな」と囃す。重石を乗せながら、娘がいつか、自分の子どもと一緒にニシン漬を漬けることもあるのかな、珍しくそんなことを思ったりした。

季節と言えば、毎年、雪が降り始めると、イライラさせられることがある。車の運転についてだ。東京で免許を取って三十年余りになる。「都落ち」のような気分で帰郷した年、何かの足しになるかも知れないと思い東京の試験場で二種免許も取得したのだが、今にして思えば、一種も二種も、それはそれは厳しい試験だった。何が一番厳しかったかと言えば、車線変更や右左折の折の、方向指示器・ウインカーを出すタイミング、右や左に曲がる時に車線ギリギリまで車を寄せる、という点だった。つまり、後続の車に対する合図のルールと、道を開ける、譲るマナーの大切さを繰り返し教え込まれた。

東京の道路は、概して狭い。車二台がかろうじてすれ違うことが出来るほどの幅の道は珍しくない。しかも、そんな道を凄まじい数の車が、そこそこのスピードで行き交う。周囲の車に、自分の車が次にどんな行動を取るかを伝え、後続の車の走行を妨げないために道を譲らなければ、事故は免れないし、交通渋滞に直結する。我が身を守るためにも、ウインカーによる周囲の車とのコミュニケーションは、大げさに言えば、ハンドル操作と同じくらい大切なんだと、厳しく指導されたものだ。

雪のない季節には、それほど感じないのだが、雪が積もって道幅が狭くなると、途端に「田舎者運転」が露見する。右左折の直前までウインカーを上げない、車線の中央で、左に曲がったり、右折しようして停止する、我が道を行くドライバーのいかに多いことか。悲しくも腹立たしいことに、プロのタクシーやバス、運送屋さんの運転手にして、そうである。言ってしまえば、自分勝手、周囲気にせず、我が道を行く、そんな運転。

制限速度五十キロの道を三十キロや四十キロで走るのが決して安全運転ではない。それはむしろ、周りのドライバーをイライラさせたり、焦らせたりする、危険運転でさえある。車の流れに沿って、出来るだけその流れを阻害しないように走る、そうすれば、かなりの数の事故が減るだろうに。

今シーズン初めての本格的な雪になった日、夏場にもまして、車線の中央で右折のウインカーを出して、後続の車を渋滞させている北海道型ドライバーを眺めつつ、「四カ月経てば、雪も解けるか」と呟いている私がいる――。

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