減税、雇用対策、子育て支援、それにほら、例の、何もしないのに一万二千円だか、二万円だかいただけるという定額給付金…、お国って、ないないと言いながら、持ってるじゃん、と思ったら、見え見えの選挙対策目的費を含むそれら「ばらまき」の財源は、みーんな「埋蔵金」なるものだと言う。で、その埋蔵金はどれくらいあるのと問えば、「どこに、どれくらいあるか分からないから埋蔵金」なんだと。

零細のわが社の経済も、経営者の資質を反映して、かなりのドンブリ勘定、「まっ、何とかなるべ」の面はあるけれど、お国の台所が、そんないい加減なやり繰りで良いのかね。大臣も、お役人も、何年かしたら首がすげ替えられているから、責任を取らされる羽目に陥る心配がないからなぁ。判断を間違って会社潰したら、家も土地も取り上げられて、借金だけ残って、すっ裸になって夜逃げするなんて、政治家にも、お役人にも、あり得ない話だからなぁ。

前週、大企業のリストラについて書いたが、今号の話題に関連するから、その補足を少々。

「派遣」という労働の形態は、働く者の人格を否定する、企業倫理にもとる、と強く思う。その上で、良し悪しは別にして、派遣労働の規制を緩和した段階で、なぜ、こうした危機の到来を予測して緊急避難システム、セーフティーネットの整備をしなかったのか。急激な不況が派遣労働者の一斉解雇を招くという予測は、経済に明るくない私めでも、容易にできる。事態が悪化の度を増す今になって「非正社員を正社員として雇用すれば百万円の支援金を出す」なんて、付け焼刃の対策を打ち出したところで、どれほどの効果があるものか。それをやるなら、企業の業績が上向いている時に限る、当たり前ではないか。

仕事がないから、切り易い人から減らす、という状況下、たった百万円やるから雇えなんて。政策通の政治家の方々と、一流大学を出られた頭脳明晰なお役人の皆さんが、どうして、こんな、明らかにチャランポランなことを言い出したり、おやりになったりするのか。強固な既得権益を守ることに汲々とする現政権と官僚機構がおやりになる政(まつりごと)に、民のための明日はない、そういうことだ。

さて、語感からあまり良いニュアンスには使われない「ばらまき」だが、こんなばらまきには、拍手を送る。隣町、東川町が、農協と一緒になって、町内の全世帯に新米五キロを支給するのだという。名づけて「大豊作記念米贈呈事業」。史上まれに見る大豊作を町民とともに祝おうと、町内の約三千二百世帯に同町産の「おぼろづき」五キロ一袋、小売価格にして二千円相当を、さらに住民税の非課税世帯で十八歳以下の子どもがいる家庭には、家族全員に五キロずつを贈るのだそうだ。

自公連立政権の「お金持ちは辞退すべき」などと意味不明の基準を持ち出さなければならない給付金と比べてみるがいい。なんてほのぼのさせられて、しかも「地産地消」の精神を控えめにアピールし、さらに、家庭でお米を炊いて、家族とご飯を食べる良さを実感する機会を与えてくれるかも知れない。「あそこの農家の、あのおじさんが作ったお米かも知れないね」なんて、食卓で交わされる、そんな会話さえ聞こえるような気持ちにさせられるではないか。

この大豊作祝い事業の費用は、全部で七百万円ほどだという。計算してみた。麻生政権が打ち出した定額給付金は、国民一人あたり一万二千円、十八歳以下と六十五歳以上には二万円。旭川市の人口は三十五万人だから、大雑把に勘定すると五十億円以上のお金が国から下されることになる。この給付金の目的が、経済対策なのか生活者支援なのか判然としないとの議論があるが、まさしく、どのように使われるのか、貯め込まれるかわからない金を「ばらまき方は知恵を絞って」と押し付けるよりも、「使い方は知恵を絞ってご自由に」と地方自治体に給付した方が、よほど住民なり、地域なりに、二兆円の効果を表せるのではないか。  隣町の、土臭いから粋で、ほっこりさせられる新米プレゼントの話を聞いて、しみじみ「あんなまちで暮らしたい」と感じてもらえるような、そんな旭川になるには、どうしたらいいのだろう、つくづく思う師走の今日この頃でありまする。ねっ、西川市長――。

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