連休の前、仕事のような、そうでないような、まっ、気楽な用向きで稚内まで走った。四人連れ。いずれも健啖家、食いしん坊。途中、士別か名寄で昼食をとることになり、一人が携帯電話からアクセスして名寄の「三星食堂」なるお店を見つけた。JR名寄駅の前、看板に「SINCE 1914」とある。大正三年の創業。宗谷本線の永山―名寄間の開業が明治三十六年(一九〇三年)、名寄―音威子府間が大正十一年(一九二二年)だというから、鉄道の開通と同時期に開店し、まちの歴史とともに商いを続けきただろう老舗である。

ジンギスカン定食が名物らしいが、ラーメンやら、カツ丼やら、カレーやら、守備範囲の広い、昔ながらの食堂である。おいしかったし、値段も真っ当。何より、働いている人たちの、飾らないが、お客をもてなす表情と素振り、つまり接客姿勢が心地よかった。

かつては鉄道の乗降客や買い物客で賑わっていたはずのアーケードのある駅前通りの商店街は、シャッターを閉じたお店が目立った。国道沿いやその近くに地元外資本による大型スーパーやショッピング施設が次々に進出し、既存の商店街が一気に寂れ果てるという、地方都市の典型をこのまちにも見て取ることが出来る。

元気なおばちゃんが、感じよく運んで来た鶏照り焼きマヨネーズ風定食をかっ込みながら、四人、「ショッピングセンターなんかの、どこでも食べられる、どうでもいいようなメシ屋じゃなくて、こういうお店がちゃんと営業を続けられる、地域の人たちが通う、守る、そんなまちでなけりゃあなぁ…」「自分たちが、自分たちの首を締めてる、足を食っちゃってる、そのことに気付いたときは、もう遅いんだけどなぁ」などと話したのだった。規模こそ多少の差はあれ、我が旭川も…、の思いを共有しつつ。枕はここまで。

ここ一カ月ほどの間に、市の職員の何人かと、取材ということではなく、個人的な立場で話をする機会があった。当然、トップの話になる。若さを売りに当選して市長になって二年半。職員の間の評価はいかがなものか、という話題である。

「まじめなんじゃないですかね。まじめ、ただ、それだけかもしれないけど」――。このご時勢に、経済観光部長を道から「お借りした」という人事について、「いろんな場面で感じるんですが、あの方(西川市長)が何を考えて、どうしようとして、そのことに取り組もうとしているのかが、私たちには全くと言っていいほど見えないんです」とため息交じりに話す。

「道から部長を呼ぶという人事についても、あのポストにどうしても欲しい人だから、ということではないんです。舞台裏の話ですが、昨年辞めた副市長が、『唯一の女性幹部の社会教育部長が定年退職するから、部長職にあてられる女性職員はいないか』と道に頼んでいたらしいんです。結局、適当な女性職員はいなくて、そうこうしているうちに、上川支庁長の推薦で、今の部長が来ることになったという話です」。

「産業高度化センターの今後という問題一つとっても、道とやり合わなくてはならない状況の中で、いま、どうして経済観光部長というポストに、道からの出向職員を据えるのか、理解不能ですね。しかも、それが人事の目玉だって言うんだから」

「大きな期待ではありませんでしたが、若いし、議員経験もないから、ひも付きではないだろうし、十二年続いた菅原市政とは違う、思い切った施策や人事を打ち出すんじゃないか、そんな未知数の面白さを望める、そう思っていたんですよ。でも、裏られましたね。私のような公務員よりも、もっともっと公務員的な人です。冒険しない、はみ出さない、飛ばない…。言ってしまえば、私たち社員にとって面白くない人です」

「有権者は、市長候補である彼について、ほとんど情報を持ち合わせていなかった。旭川出身で、北大を出て、元パイロットで、小沢一郎に傾倒して政治家を目指し、国会議員選挙で何度も落選している人、それくらいのものです。彼の政治家としての資質がどれほどのものか、三千人以上を抱える市役所組織をまとめ、動かす能力はあるのか、ないのか、まちづくりに関して、どんな夢を持ち、実現しようとする情熱はどれほどのものなのか、全く分からないまま、ただ単に若さに賭けて一票を投じたんですよ。その賭けは、はっきり言って負けでした」

今年十月になると、次の市長選まで一年だ。今のところ、現職に対抗する動きは見えない。職員の言葉、「あの方が、もう一期、四年、市長であり続けるかと思うと、テンション下がります。選んだのは市民だから自業自得なんでしょうけど、不幸ですよね」。

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