市職員のボーナスを〇・二カ月分削減する条例改正案が市議会で可決された。それにならって、市議のボーナスを削減率も職員と全く同じ〇・二カ月分削減する条例改正案を可決した。しかし、前週の本欄で書いた、市議の理由なき「二〇%の役職加算」は、予想通りそのまま。

強く思う。議会の審議の順番が逆ではないのか、と。「市議会議員の役目とは何ぞや」を考えれば、まず市議自らのボーナス削減を提案可決し、それから「経済状況や市財政の現況に鑑み、私たち議員は報酬を引き下げた。あんたたち職員も協力してくれるか」が筋ではないのか。「職員のボーナスが引き下げられるから、オレたち議員も下げなきゃ、世間から批判を浴びる」――これじゃさまにならないだろうが。枕はここまで。

今月十二日付の本欄、「市職員の『社長』評価について少々――」に対して、かつて旭川支局に勤務した全国紙の記者からメールが届いた。彼が旭川にいたのは、西川市長がパイロットを辞めて国会議員になろうと活動し始めた時期。断っておくが、市長のネガティブキャンペーンを張ろうなんて思惑は毛頭ない。恐れながら叱咤させていただくという意味である。市長になる前の西川氏を取材した彼の「むかしばなし」と題するメールのサワリを紹介する。

――その「むかし」。小沢チルドレンとして国政に打って出るべく、辻立ちをしていたころのこと。言っていることがよく理解できなかったので、「あなたは国政に出て、何をやろうとしているのか。何を実現したいのか、旗印は何ですか」と尋ねたことがありました。

昔のことなので、どんな答えだったかは忘れてしまいましたが、旭川から出馬することの意味、拠ってたつ信念の在り処などについて、相当に辛らつな質問をしたことだけは記憶しています。

しかし、話の中で「こいつ、末は大物になれそう」と、うかがわせるような輝きやひらめき、切れ味はなく。

さらに、凄いのは、その日の夕方、ご当人の奥方から厳しい叱責の電話があったこと。「何か含むところがあって、主人にあれこれ質問をしたのでしょうか。政治的にもまだまだ素人なので答えられないこともたくさんあります。あまり上げ足をとるようなことはしないでほしい」と。そんな趣旨のお叱り。

いじめるなら、他の現職も平等に、という思いもあったようですが、新人であればこそ、色に染まっていない初々しさ、熱が感じられて当然、と考えての挑発だったわけです。

少々意地の悪いやり方でしたが、そうやって人となりを試される場というのは、世の中たくさんあるわけで、この時の印象は「中身は真っ白」。

ともあれ、“意地悪”を家に戻って報告するのはともかくも、真に受けて代理を買って出たのには、「???」。子どものけんかに親が出てくる、以上の驚き、というか唖然とする体験でした。

そして、「直言」を読んで、思ったのは「変わってないな」ということ、でした――。

菅原前市長の現職時代、彼に対する批判も書いた。道で顔を合わせた後援者に横を向かれるほど、書いた。だが、当時の菅原市長にお会いすると「僕も愛読者なんですから、あまりキツイこと書かないでくださいよー」と笑顔で握手を求められたりした。菅原さんの真似をせよとは決して言わないが、政治家としてその程度の太い腹が、深い懐があっていいのではないか、そう思う。断るまでもないが、市長というのは官吏の役職の一つではなく、政治家なのだから。

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