雨の日曜日の朝、犬の散歩の後、家の横の狭い畑に出て、初収穫の青ジソの葉を五枚ほど持って台所へ。朝ご飯の用意をしながら、ふと、家人に声をかける。「今年の暮れで、三十五年になるんだなぁ」。洗濯物を畳んでいた家人、「三十五年…」とつぶやくと、何もコメントせずに深いため息をついた。話の接ぎ穂を失った私、黙したまま、納豆に入れるための青ジソを千切りにする。

振り返れば、ドロップアウトを気取って学校を中途でやめて以来、社会の下層へ下層へと向かって、翼を片方失ったプロペラ飛行機のごとくきりきり舞いしながら幾度も転職を繰り返した。家族が離散しなかったのが不思議なほどの危うさだった。家人が何と言うか尋ねたことはないけれど、その鎹(かすがい)になったのは、間違いなく食べ物だった。いるとすれば神か仏のお導きなのかもしれないけれど、不思議に食品関連の仕事を転々とした。単に食い意地が張っているのが、その理由かもしれないが。

犬も食わない大ゲンカをした後の関係修復策は、食い物でつるのに限る。しかも、金をかけるのではなく、質素であってもいいから自らの手で作った食い物で――。どうにか女房に三くだり半を突きつけられず、三十五年をやり過ごしたダメ亭主が、その苦く際どい経験から導き出した格言である。

昨今の北朝鮮のハチャメチャ瀬戸際外交にテンヤワンヤする日本の政府と、その騒動に乗じて軍事強化の流れを必要以上に喧伝する勢力やマスコミを鼻で笑いつつ、国民の過半数が飢餓に直面しているらしき最貧国に対しての切り札は、食い物ではないか。制裁を加えるにしても、懐柔するにしても、その策の根底には食べ物があるべきだ。そこを押えず、アメとかムチとか騒いだところで…。ラジオのニュースを聞きながら、そんな思いで包丁を握っていた。枕は、ここまで。

「エコ」の嵐だ。テレビも冷蔵庫も、エコ製品に買い替えよ。エコ・カーに買い替えたら減税・補助金をあげる。借金まみれの国が、さらに借金を積み増しして、国民に古いものは捨てて、新しいものを買えと迫る。その殺し文句は「エコ」。

五月二十六日付朝日新聞朝刊の「声」欄に、「新車より既存車の燃費改善」の見出しで載った、神奈川県在住の会社役員のご意見のサワリを。

――私たちの会社は十年以上前から「モッタイナイ」の気持ちで後付けアイドリングストップ装置を開発してきました。市街地で信号待ちなどで停止している間、容易に安全にエンジンを停止・再始動できる装置で、街中で十%以上の燃費削減効果があります。…国の補正予算に各省庁のエコカー購入費が五百八十八億円も盛り込まれるといいます。そんな予算があれば、九十八万台の車両をアイドリングストップ車へ変換できます。本当にCО2削減が目標であれば、現在問題なく使用している車両を買い替えたりせず、ガソリンの消費量を減らすことこそ追求すべきではないでしょうか――

テレビにしても、冷蔵庫にしても、もちろん車にしても、いま使っているものを大事に使い続ける方が、本来の「エコ」の趣旨に適っている、そう思う。日本の経済を牽引してきた巨大企業が、世界的不況の影響をモロにかぶり、決算で巨大赤字を計上した。その穴埋めのためとも知らず、おバカな国民は「エコ」という、その実体も不確かな言葉に煽られて、壊れてもいない道具を捨てて新製品を買いに走る。なんたって国がお先棒を担いで宣伝する「運動」だ。さぁ、借金して、買って買って買いまくれー、ですか。あぁ…。

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