この紙面は九月二十二日付。カレンダーに四つ並んでいる赤い字の三つ目の火曜日に、読者の皆さんの手許に届いているはずだ。当社は自前の輪転機を持っていないため、委託している会社の稼働日、工程に左右される。今週号の印刷は、通常よりも二日早い十九日土曜日。中小零細企業の例に漏れず、ぎりぎりのスタッフで仕事をしているから、この二日前倒しはいささか辛い。だから、愚痴を言いたくなる。私の周りの商人や会社経営者の声を代弁して叫ぼう。「ハッピーマンデーって、一体、誰と誰がハッピーなんだー」と。

二十二日が赤い字なのに何のいわれがあるのかと問えば、「国民の休日」なんだと。何かの記念日、というのではなく、前日が「敬老の日」、翌日が「秋分の日」でともに「国民の祝日」だから、その間に挟まれた二十二日を休日にしちゃった。そもそも敬老の日は、九月十五日だった。インターネットの百科事典によれば、戦後間もない一九四七年(昭和二十二年)、兵庫県の小さな村の村長さんが、「老人を大切にし、年寄りの智恵を借りて村づくりをしよう」と提唱した「としよりの日」だという。稲刈りも終えたその地の農閑期に当たり、気候も良い九月中旬の十五日に、敬老会を開いたのだそうな。それが全県に広がり、やがて六六年(昭和四十一年)、国民の祝日「敬老の日」となる。

休みになるんだから、その歴史やいわれなんかどうでもいい。国民の多くも文句は言うまい。この完全なご都合主義で割を食う人が出ることなどお構いなしだ。農家は、そろそろ稲刈りが始まる超繁忙期、土曜日も含めて五連休ともなれば繁華街の飲食店は閑古鳥だろう、いわんやタクシーの需要はなくなる、それでなくても雪のない地域に比べて稼動日数が少ない建設関連の会社も秋の追い込みの時期だ。さて、大型連休を作ることで得をするのは、稼ぎがなくても一向に困らないお役人か…。やめよう、もしかしたら、贅沢な行楽に出かけるほどの給料を手にしていないわが社のスタッフも、滅多にない連休を有難がっているかもしれないぜ、ハハハ。枕はここまで。

八月二十一日から三十日まで、名古屋・セントレア空港で、旭川と近郊八町の物産や観光をPRしようと開かれた「大雪おみやげ博2009」にボランティアスタッフとして同行した女性の「本当に腹が立ちました」という怒りの話である。

――二十一日の開会式には、名古屋の河村市長も来てくれて、笑いを誘うスピーチで盛り上げてくれました。でも、西川市長の話は、今回のイベントに関して、まるで旭川市が中心になって企画して、旭川市が全てを取り仕切ったような挨拶だったんです。何も分かっていません。

あさひかわ新聞さんにも、道新さんにも書いてあったように、この「おみやげ博」は、民間の人たちの出会いがあって、意気投合し、行政の支援を求めずに苦労しながら人から人へ輪を広げて、実現したんです。西川さんは、まず、そうした人たちに対して、名古屋の市長、市民の前で、「ご苦労さまでした」と賛辞を贈るべきでしょう。市は、お膳立てがほとんど出来てから乗っかっただけなんですから。

西川さんがそうした背景や経過を知っていて、名古屋くんだりまで来て、あんな自慢げな挨拶をしたとすれば、本当にどうしょうもない市長です。そして、そうした背景や経過が耳に入っていなかったとすれば、市長の下の人たちの責任は重大だと思いますよ。もちろん、それもこれもトップの力量、リーダーシップ、組織を動かす能力の問題ですけど。

あの挨拶を聞いて、これまで汗をかいてきた人たちは、がっかりしました。別に褒めてもらいたいと言うんじゃありませんよ。こんな市長を戴く、恥ずかしいまちで、すみませんという気持ちです。

もう一つ、河村市長は、開会式の後、法被姿のままで会場に立ち、来場者に声をかけたり、記念撮影をしたり、PRに一役買ってくれたんです。ところが、肝心の旭川の市長は、そのままどこかへ行ってしまって…。本当に、本当に腹が立ちました――

総選挙で歴史的な政権交代が実現し、民主党を中心とする連立政権の新閣僚達が、「民意が選択した政権交代とは、まさしくこういうことなんですよ」と誇示するがごとく、長く続いた自民党と官僚による癒着構造を打ち破るべく新機軸を次々に打ち出している。既得権を享受してきた層にとっては「無血革命」と称すべき状況だろう。一年余り後、旭川は市長選挙が待っている。来夏の参院選の結果にもよろうが、民主党の「風」が市長選にも影響を及ぼすとしたら…、八年間も西川市政が続くことを、心から恐怖する今日この頃――。

ご意見・ご感想お待ちしております。