初代若乃花と栃錦の対戦を“観た”のは、私が小学校に入学する前か、一年生だったはずだから、我が家にテレビはなかった。だが、千秋楽に全勝の栃錦を倒して優勝決定戦に持ち込み、大相撲の末に勝って優勝した若乃花の姿を観ている。間違いなく、夕方、夕飯の支度の手を止めてラジオに聞き入る母親の横で聞いていたはずなのだが、私の脳みそには映像として記憶されている。テレビにはない、ラジオの持つ、聴く者の想像力を駆り立てる力に、今さらながら驚かされる…、いやいや、話の方向はそちらではなくて、その私の記憶の映像に残る若乃花はガッツポーズをしなかった、その手の話。

大相撲秋場所の千秋楽で、悪役・朝青龍が土俵上でガッツポーズをして、またまた横綱審議会や相撲協会のお偉方にきつく叱られたそうな。「品格に欠ける」がその理由だと新聞は伝える。

さて、その場面。本割では白鵬にいともたやすく寄り切られた朝青龍が、優勝決定戦では、白鵬をがっちりと組み止め、相手に余裕を与えない素早い動きから頭を付ける体勢に持ち込んで、最後は強烈な掬い投げで白鵬を土俵に転がし、そのはずみで倒れこんだ朝青龍の背中やお尻にも砂がべっとりと付いた。勝ち名乗りを受けた後、土俵を下りる間際、座布団が舞う桟敷に向かって両手を突き上げ、喜びを爆発させたのだった。

大相撲は、礼に始まり、礼に終わる、のだそうだ。相撲界の長い禁忌を破って審議委員に就いている、女性初の横綱審議委員は「番付最高位の横綱がこんな非礼は許せない」と憤ったと報道された。んー、そうでしょうか。場所前の絶不調予測を見事に裏切り、あの状況で、あの取り口で宿敵を倒し、四場所ぶりの優勝を果たした朝青龍が両手を突き上げた瞬間、国技館の観衆もテレビ桟敷の全国の相撲ファンも、その喜びを共有した。少なくても、スポーツを観戦する一つの意味が、そこに凝縮されていたのではなかったか。

ガッツポーズをする横綱の品格を云々するほど「国技」を強調するのであれば、表彰式のBGМを邦楽にしたらいかがだろう。天皇賜杯授与のバックに流れる「チャーンチャーカチャーンチャ チャチャチャチャチャンチャンチャーン」(わかるかな…)のあの曲、ヘンデル作曲のオラトリオ「マカベウスのユダ」の第三幕で演奏される、邦訳では 「見よ、勇者は帰る」だそうだ。賛美歌にも採用されているというから、極めて宗教色の強い曲である。オリンピックでは、イスラム圏の反対で使えないとも聞く。そんな曲を国技の表彰式の場で流す方が、よほど大相撲の品格を損なうのではないの、とへそ曲がりの私は思ってしまう。いっそのこと、雅楽をBGМに使えばいかが。枕はここまで。

政権交代以降の新聞各紙の論調の違いが面白い。読売は「帰っておいでー、自公政権」ありあり。涙ぐましいほどの新政権のあら探し、混乱振りを書き立てる。朝日は、これまで自民党から冷たくあしらわれていた状況が一変し、政権与党からの情報があふれかえって、逆にその取捨選択に戸惑っているという感じ。朝日が一面トップに五段抜き、写真付きで打った記事を読売は三面あたりに二段で扱う、なんてことも珍しくない。

その政権交代について、建設関連の経営者は次のように解説する。

――公共工事が減る、麻生政権がせっかくつけてくれた補正予算が凍結される、経済対策は遅れに遅れる、なんて言って悲観的な経営者もいるが、オレはそうは思わない。金の流れが変わるんだ。いままで、一つの方向だけ見ていれば仕事にありつけたものが、そうでなくなるということ。談合の大きな仕組みの片隅にいれば、黙っていても商売になって来たシステムが変わるということだ。公共工事の量も質も減るかもしれない。でも、商機を見出すために何をするか、いままで何をしてきたか、本来の経営が出来るようになる、そう考えれば、未来は明るいさ――。

民主党を中心とする連立政権の誕生は、端的に言えば「無血革命」が起きた、ということだ。これまで既得権を得る仕組みの中にいた企業や人が、その既得権を失ったり、おびやかされる状況が生まれる。当たり前のことだろう。国民の多数が、それを望んだ。革命が起きれば、従来のシステムや価値観や組織、それまでの常識が覆されるのは当然だ。明治維新で、それまで身分によって違っていたちょん髷が、一様にざんぎり頭になり、サムライは刀を奪われ、農民も商人も町民みんなが苗字を持つようになった。大雑把に言えば、革命とはそういうことだ。

無駄遣いの象徴とされる群馬県・八ツ場ダムについて、政治に翻弄されてきた住民の気持ちを汲んで「中止するのをやめるべきだ」との主張が目立つ。マニフェストを忠実に守る必要はない、と。何をかいわんや、である。工事が五〇%進んでいようが、国費や関連する自治体からの負担金がすでに三千億円以上も注ぎ込まれていようが、国民は、政権が変わればこの壮大な無駄を止めてくれるかもしれないと“夢見て”、民主党に一票を託した。訳知り顔で「現実路線を」「混乱は回避を」と諭すマスコミは、それこそ民意というものをなめている。有権者は、政権交代による、多少の、いやかなりの混乱、混沌を予測しつつ、新たな政権に“夢”を託したのだ。

新政権発足から間もない先月、鳩山首相が語った言葉は本音だろう。「試行錯誤の中で失敗することもあろうかと思う。ぜひ国民のみなさんにもご寛容願いたい」。無血革命の行く末を、少し時間をかけて見届けようと思う今日この頃――。

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