久し振りにお会いした、多分、青春時代に戦争を経験した年代であろうご婦人と、立ち話ではあったが言葉を交わした。本紙の長年の読者でもある彼女は、私のような社会の底辺をウロチョロしながら、かろうじて波間に口を出して息を繋いで来た人間とは、ちと違う、近頃の言い方を借りるとセレブの部類に属する方である。

 「あなたも時々書いておられるけど、私たち、貧しかったから、今のような暮らしがしたいと頑張ったのよね。そうして、豊かになった。五十年前、六十年前には、想像もできないほど、毎日、おいしいものを好きなだけ食べて、暖かな家に住んで、とても便利で、快適な暮らしを手に入れたのよね。でも、どうでしょう。私たち日本人は、幸せを感じていないの。とても不満なの。どうしてでしょう。どうすれば、私たちは、本当はとても幸せなんだと感じられるのかしら。最近、私、ずっとそのことを考えているの」。

 年が明けると、還暦まで残り一年になる。戦争を知らない世代だが、貧しさは知っている。幸い、父と母が生活を切り詰めてお金を工面し、東京の学校に出してくれたから、世の中の広さを少し知った。ただ、自分で言うのもおかしいが、根っこの部分で上昇志向が希薄な性格なものだから、飯が食えればそれで充分という生き方で、血の繋がったヒトたちには、かなりの災厄をもたらしてもきた。我ながら強運と思える、幾つかの出会いがなければ、今ごろは寒風吹きすさぶ上野公園かなんかで、ホームレスの仲間たちとワンカップを傾けていただろうと、心底、思う。

 あらら、何を書こうとして、この話を始めたのだったろう…。あっそうそう、私たち日本人の「豊かさ」と「幸せ」についてだ。「これだ」と直感させられたのは、現在、準備に追われている本紙一月一日・新年特別号に掲載する、旭川大学女子短期大学部の豊島琴恵教授が今夏にイタリアを旅した折の「食」に関する経験談。掲載前に引用するのはフライング気味ではあるが、そのサワリを――。

 「訪れたベネチアにもファストフード店がありましたが、食べているのは観光客だけで、地元の人たちがファストフードを口にしているのは見かけませんでした」

 「あまりに自国の食材が美味しくて豊富なので、日本食など他国の料理や食材に対する興味がまったくと言ってよいほどありません。自国の食材・料理を食べ続けてきた歴史、文化が根強く存在しています。また、それがきちんと後の世代に伝えられていると感じました」

 「(日本の社会は高度成長経済の時代に)スピードや効率が優先され、大事なものを見失ってしまいました。時間をかけて、地元の食材を自分で調理するのでなく、『食の工業化』が進んでしまった。こうした時代背景の中で、家庭での料理が変わってきたのです。お母さんが家庭で料理をするより、外に出て働く経済的価値の方に重きが置かれた」

 ――我が家の、ある夜の食卓を思い浮かべる。トンカツとキャベツの千切り、マカロニサラダ、昨日の残りのタラの煮付け、漬物三点盛り、大根・人参・油揚げの味噌汁。父と娘は、それらを肴にダラダラと晩酌をして、酔った勢いに任せて締めに納豆ご飯…。あぁ、この食卓の食糧自給率はいか程か。

 もうお一方、こちらも新年号に掲載予定の、東海大学芸術工学部建築・環境デザイン学科の藤森修准教授のお話――

 「デンマークに暮らし始めて、現地の人に驚かれたことの一つは、日本人がコンビニやデパ地下で買ってきた食べ物を容器からそのまま食べるということでした。それをするのは世界中でアメリカ人と日本人だけなんです。輪島塗など美しい器や箸の文化を持つ日本人がなぜ器から直接食べるのかと、相当に驚かれました。いかに日本がアメリカ文化の影響を受けているのかが分かります。北欧では、学生でさえも、きれいな白い皿に盛り直して食べます」

 ――「食」についての感覚は、つまり「生き方」に対する考え方とか理念とか、お固く言えば哲学とか、その範疇に属するといって良い。わび・さびの境地に足を踏み入れ、風雅を愛し、粋を尊しとした日本人の魂は、どこへ行ったのか。自らの自堕落な暮らしぶりを赤面をもって振り返りつつ、先述の上品な老婦人の「どうすれば、私たちは、本当はとても幸せなんだと感じられるのかしら」という言葉を胸の中でなぞってみる。

 今年最後の号となる。一年間、時にはお叱りや罵声を浴びつつ書いてきた。小欄のお陰で知り合えた方も少なくない。先の見えない、読めない時代の真っ只中、精一杯背伸びをしつつ、そして謙虚に、来年も書き続けたいと思う。少々早めではありますが、二〇一〇年が読者の皆さまにとってよい年になりますように――。

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