「この時期に、露地でキャベツか…」の報告を少々と、雪で閉ざされることの優位性――

 二十四日日曜日午前五時二十分、この原稿を九州で書いている。長崎県雲仙市小浜町の山の上の温泉ホテル。気ままな観光旅行とは、ちと違う。旭川の農業法人・西神楽夢民村の(島秀久社長)の社員研修旅行の同行取材、と言えば格好よいのだが、いつもの癖で、とある新年会で顔を合わせた島さんと連れ立って行った居酒屋のカウンターで、酒の勢いを借りて「一緒に行きたい。いや、行く、行く」と口走ってしまった結果なのだ。

 三泊四日で、九州七県のうち、鹿児島県と福岡県を除く宮崎、熊本、大分、佐賀、長崎の五県、千キロを走破し、集団営農村落や先進的な農場、施設など七カ所を視察するという過激なスケジュールの旅の途中である。電話で聞けば、旭川は吹雪とのこと。九州は、地元の人は「寒かでしょう」と言うが、日中の最高気温はプラス十度ほど。狭い日本の多様さを実感する旅でもある。

 火曜日発行、輪転機を持ち得ない弊紙の場合、月曜日の午後に印刷するから、週末の土日は一つの佳境だ。記者から出てきた記事を紙面に割付するまでの最終段階。その週末に社を空けるのは、何年ぶりだろう。で、社にいなくたって仕事はできる時代さと、アナログおやじらしくもなく、パソコンを持って来た。ところが、三泊した観光ホテルのいずれも、部屋でインターネットを使えなかった。ロビーかどこかに一カ所くらいLANケーブルが接続できる設備があってもよさそうなものだが、「申し訳ありません」の返事。ビジネス客の来館を想定していないのだろう。仕事上の便利さを奪ってしまえ、そうすれば、心身ともに解放される、そんな“スーパー気遣いサービス”なのかも知れないと思ったりもするが、さて…。

 一行三十一人の二泊目の宿は大分県・湯布院の温泉旅館だった。お湯はまぁまぁ、夜と翌朝の料理は、三泊のうちでダントツ。レベルが違う、という感じ。何より、ははぁ、これが全国に名をとどろかせる湯布院の接客の真髄の一端なんだろうな、と感じさせられたのは、宿に着いて、大急ぎで貸し切り状態の温泉に浸かり、髪が濡れたままで座った宴会の席。仲居さんに「一年のうちで、一番お客が多いのはいつ?」と尋ねると、「お陰様で、四季折々、たくさんのお客様に来ていただいています」との答え。「今日は、ひまな方なのかな?」とさらに押すと、「お陰様で、こんなに大勢のみなさんに来ていただいて」と笑顔で、さらりかわす。

 考えてみれば、「いゃぁ、この時季はひまですよ」などと応じれば、その言葉の裏に「こんな時季に来るなんて、おかしな団体さんね」の意味を読み取る者もいるかも知れない。自分は、年がら年中賑わっている、人気の観光地に来ている、オレのチョイスもまんざらではないべさ、いゃあ来てよかった、と思わせて何の損もない。祭りの露店ではないが、人が寄っている店は覗きたくなる、ひまな店には立ち止まらない、その心理に通じる接客トークだろう。

 翌朝、七時半には宿を出発して、長崎に向かう強行軍だから温泉街を歩く時間はなかったが、推測するに、まち全体に、何気ない、ほんわかした雰囲気ながら、人を呼び込み安心させようという意識が浸透しているのだろう。だから、失礼ながら、山里の小さな温泉街が、至近にある別府という国内有数の温泉地に伍していけるのだ。そして思った。乗ったタクシーの運転手に、旅の客を装って「このまちの景気はどうだい?」と聞けば、「いゃあ、だめですよ。動物園の人気もそろそろ終わりって感じだし、旭川は他に見るところもないから」なんて答えが返ってくるようじゃ、観光都市を目指すのは百年早いよなぁ、なんて。

 旭川でも、農業の後継者難、高齢化、離農、農地の荒廃、などの問題が指摘されて久しい。十年後には、農家戸数は半減するだろうという話もよく耳にする。だが、九州の五県を周ってみて、旭川はまだまだ恵まれているよなぁの感を強くした。八戸の農家が完全に合体して会社をつくり、男は社員になって給料制、女はパートで時間給で働く、農業を目指す若者を社員として採用し、販路開拓のために別会社を立ち上げて…。そんな意欲的な農業法人のメンバーと三泊四日、ご一緒させていただいたせいもあるが、旭川、北海道の農業の未来は、とてつもなく明るい、そう確信できる。

 その理由の一つは、厳冬。雪で埋もれてほぼ半年間、燃料を大量に消費すれば別だが、耕せない。体を休ませたり、充電したりする時間が取れる、ということだ。昨日訪ねた大分の農業法人では、十人採用した、農業の将来に夢を持つ、やる気のある若者のうち、六人が去ったという。経営者の話からは、その確かな理由を推し量ることはできなかった。が、私は、この地が二期作が可能な地域だというのが、根底にある気がした。春から秋にかけて米を作り、稲刈りを終えた水田で、例えばキャベツやダイコンを栽培できる。やろうと思えば、一年、三百六十五日、耕すことができる。

 種を蒔けば、その成長の過程で手をかける、かけられる場面は幾らでもある。畑を見れば雑草をとりたくなる、水をやりたくなる、石を拾いたくなるのだ。ものを育てるって、そういう仕事なのだから。だが、食べるものにも窮した半世紀前とは違う。週休二日制、必要以上に働くのは悪である、という世の中だ。二十代、三十代、遊びたい盛りの若者にとって、まして、やる気のある者にとって、安心して休むことが出来ない環境は、かなり辛いに違いない。

 雪で閉ざされることの優位性って、きっとある。それを活かすのは規模拡大なのか、付加価値の追求なのか、それとも…、そんなことを考えながら、明日、雪の旭川に戻る。

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