ワインについて蘊蓄(うんちく)を垂れる方とはあまり酒席でご一緒したくない。まぁ、ワインに限らず、“ひけらかす”方は、苦手ですけど。いやいや、話は、ワインではなく、野菜の苗である。今朝、友人の農家から分けていただいた長ネギの苗を自宅の畑に定植した。その友人に「そんなに焦らなくていいのに」と冷やかされながらである。

 「カッコウの鳴き声を聞いてから」とか、「招魂祭までは植えちゃだめ」とか、昔から種を蒔いたり、苗を植えたりするには、ちゃんと時期がある。お天道様と土と共に生きてきた農業者が失敗を糧に長年かかって獲得した「教え・決まりごと」である。資材や機械が進歩しようが、天気予報の精度が上がろうが、温暖化の進行が喧伝されようが、この「カッコウ」と「招魂祭」を無視すると、必ず痛い目を見る。低温障害が出たり、遅霜にやられたり。

 大型ホームセンターでは、とっくに野菜の苗を売っている。その影響を受けて、「ダメにしていいなら植えたらいかが?」と、家庭菜園を楽しもうという素人に親切な助言をしてくれる老舗の種苗店も、売り損じを回避しようと販売を始めた。苗の販売スタートは、年々、早くなる。「まだ、早いと思うけど、お客さんにせっつかれてさ」と弁解しつつ、である。くだんの農家の友人は、「早く売って、霜にやられたら、また買いに来るから、売る方は儲かるからな」と笑うのだが。

 で、話はワインに戻る。ボジョレ・ヌーボーの解禁日は、フランス政府が決めたのだそうだ。現在は、それぞれの国の現地時間で十一月の第三木曜日の午前零時。解禁日が決められた理由は、各メーカーがいち早くヌーボーを出荷しようと競い合い、それがエスカレートして、ついには品質の劣るヌーボーが出回るようになったからだという。私にすれば、たかがワインの味について、国が法律まで作って口出しするのかよ…、の気分ではある。

 小欄で、何度か私たちの国の規制緩和は、どこかずれているのではないか、と書いた。コンビニエンスストアが二十四時間営業し、“大人の社交場”なるパチンコ屋が全国津々浦々で博打場を堂々と開帳できて、百貨店や大型スーパーマーケットは元旦から店を開ける。そうした野放図で、無節操な、自由を履き違えた商業主義が、暗にではなく、むしろ積極的に、国民を自堕落な生活へと導いているのではないかと。

 ボジョレ・ヌーボーに話を戻すと、一九五一年に初めて解禁日を決めた当時は、十一月十一日だった。後に、十五日に変えられた。いずれもキリスト教の聖人と関わりがある日が選ばれた。ところが、解禁日を固定してしまうと、解禁日が日曜日になることがある。かの国では、日曜日はほとんどのレストランや酒屋がお休み。それで、十一月の第三木曜日になった、のだそうな。夜中だろうが、正月だろうが、売れれば、儲かるなら、他店を出し抜いて店を開ける、という我が国の意地汚い商魂と、この頑固だが柔軟な商習慣の違いは、どうだ。

 賢明な読者の皆さまは、そろそろお気付きかもしれない。その通り、野菜の苗も「解禁日」を設けるべきじゃないか、と提案したい。旭川独自の条例でもいい。招魂祭、今は護国神社のお祭の日までは、野菜の苗は断じて売ってはならぬ、と決めたらいい。商人でなくても、お金のためなら、つい目をつぶったり、良心をちょっと横に置く振りをしたり、そんな気持ちになるではないか。種苗店が大型店に焦るお客を盗とられまいと「まだ早いと思うよ」「霜が降りそうな前の日は、ちゃんと養生してね」と諭しつつ、後ろめたい気持ちを抑えて苗を売り始めるのも理解できる。みんな聖人ではないのだからさ。

 旭川には日本酒の蔵が三つある。ゴールデンウイークが終わり、清酒の鑑評会が終わる五月末、各蔵が厳冬期に搾った「新酒」を売り始める。ちょうど露地のアスパラガスの走りの時季だ。街を挙げて、野菜の苗の「販売解禁」に合わせ、「新酒」の解禁日を決めて、地物の新鮮な「アスパラガス」を楽しむ祭を企画したらどうだろう。「北の春の新酒とアスパラ祭り」とかなんとか銘打ってさ。規制があるから、節目が出来る。それを祝う気持ちが高揚するのではないか。

 定植した二畝(うね)の長ネギの赤ちゃんをウルウルするような気持ちで眺めつつ、苗を買おうか、まだ我慢すべきか逡巡しながら、そんなこと夢想している。

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