弊社がある地区が今年は上川神社祭の当番区なのだそうで、役員の方が「寄付を」と訪ねられた。この地で商売をさせていただいているのだからと、わずかではあるが協賛金を出させていただいた。その折、かねてから感じている「自衛隊のジープや企業のトラックに神輿や花笠を被った人を乗せた行列が走り回る、あのスタイル、そろそろ考えた方がよろしいのではありませんか?」と問うてみた。その役員の方は「近ごろは、寄付を集めるのが大変でして。おっしゃるように、私たちも何か違う形にした方がいいと感じているのですが…」と言う。

 旭川市史によれば、上川神社の創立は一八九三年(明治二十六年)。「(明治)三十二年より、例祭日を毎年七月二十一日と定める」とあるから、百十年以上の歴史を有することになる。祭の主体である上川神社の意向もあるのだろうが、ファストフードの変形みたいな屋台ばかりが軒を連ねる露店を含めて、もう少し、なんて言ったらいいのだろう、地域の「祭り」らしい形にできないものだろうか。枕は、ここまで。

 前号に久し振りの東京行きの話を書いた。今週の本紙十九ページの「すっぴん日記」を含め、何人かの読者やお会いした友人、知人から、反応をいただいた。「上京の目的は、結局は娘の顔を見たかっただけなんだろう」などと揶揄する、口の良くない友もいたが。読者の一人から、写真を添付して次のようなメールが届いた。

 ―今日の「直言」によると、久しぶりの東京行き(あえて上京と呼ばず)だったようですが、こんなベンチに気がついたでしょうか。今年五月、市ヶ谷付近で撮ったものです。何年か前にベンチの真ん中にこんなものが設置され、これを見るたびに心を痛めています(疲れた弱い者が横になるのを防ぐためでしょうが、なぜ横になったら駄目なんでしょうか)。弱者排除の論理、行政の冷たさが見えるからでしょう―

 私自身は目にしなかったが、公園などのベンチを家や家族を失った人たちが“占拠”しないようにと都のお役人が知恵を絞った対策なのだろう。改めて、こんなイヤな街に暮らしていなくて良かったと思う。

 メールの主は旭川大学の先生。前号の小欄では、東海大学旭川キャンパスの閉鎖について書いたのだが、彼は次のような提案をする。

 ―東海大学に関しては非常に残念です。旭川大学も同様に厳しいわけなので公立化し、東海大学キャンパスも買い取って学部も残し、旭川市立大学永山キャンパス・忠和キャンパスにしたらどうかな。公立化すれば応募学生は必ず増えますし、経済学部に関しては市からの持ち出しはなく、かえって直接的「利益」が出るほどだと思います―

 名寄市立大学の非常勤講師を務めているという読者からも、前号の小欄について電話をいただいた。いわく――

 「名寄市は人口三万人のまちですが、市立大学を持っています。保健福祉学部に栄養・看護・社会福祉の三学科、そして短期大学部に児童学科。それぞれ一学年の定員は四十人から五十人ですから、全体の学生数は六百五十人余りになります」

 「東海大学も旭川大学も、近年は定員割れの状態が続いているということですが、名寄市立大学の入試の競争率は二倍以上です。入学金や授業料が私立に比べてやや安いという理由もあるでしょうが、やはり『公立』という安心感というのかな、運営母体に対する信頼感が背景にあるんだと思います」

 「旭川は人口三十五万人、周辺のまちを加えると五十万人という都市圏を持っています。編集長が書いていたように、家具やデザイン、建築と旭川の基幹産業にとって東海大学の芸術工学部の存廃は、旭川だけでなく周辺の町を含めて、地域全体の浮沈を左右する大きな問題でしょう。旭川大学と統合し、周辺の町にも呼び掛けて、公立の大学を設立すべきだと思います。いや、行政に“おんぶにだっこ”の大学をつくれと言っているのではありませんよ。公立であっても、経営はあくまでも自立。やれますよ」

 「よく、ピンチはチャンスと言いますが、今回の東海大学旭川キャンパスの閉鎖は、もしかすると旭川の底力を発揮できる好機なのかもしれませんね」

 東海大学旭川キャンパスが学生の募集を停止するまで、二年足らず。時間はない――。

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