五十歳を過ぎた頃から、暮れになると思い出す光景がある。私は高校二年生だったから、四十二年前の国鉄官舎の、それほど広くはない玄関。壁や下駄箱には新聞紙が貼られている。まだ夜が明けきらない早朝、鉢巻をした父が杵を振るい、母が臼の横にしゃがんで、ハイッハイッと声をかけながら合い取りをしている。家中に、もち米を蒸す、なんとも言えない良い匂いが漂っている。

 それまで、餅をつくのは、父の役目と決まっていた。その年初めて、私が杵を持った。自分でも意外なほど、ちゃんと餅をつけた。多分、毎年父が餅をつく姿を見ていたから、「門前の小僧、習わぬ経を読む」のようなことだったのだろう。普段は無口な、息子に言葉をかけることなど滅多にない、鉢巻をした父が、「力あるな」と言った。あの年代の男としては、精一杯のほめ言葉だった、と思う。

 その翌年、私が高校三年の暮れは、父の勤務の都合か、それとも私の受験の事情か、理由は記憶にないのだが、とにかく餅つきはしなかった。翌春には、私は上京してしまったから、父と餅つきをしたのは、その一度きりである。十年後、父は定年退職した年の夏、肺がんであっけなく死んだ。 

 昨年の暮れ、友人の会社社長に声をかけられ、二社合同で餅つきをした。彼の会社では、創業以来の行事になっているとのこと。臼と杵、蒸し器などの一式を揃えている。

(工藤 稔)

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