過日、娘に「簡単にできるから」と頼まれて、コンビニで振込みをした。初体験。店員は明らかにアルバイトと分かる青年というか、少年だった。その彼が金融機関や郵便局で働く人と、いわば同じ仕事をする。僕が差し出す一万数千円のお金を受け取り、確かめて、振込用紙に二つの判をペッタンペッタン捺して、領収の半券を切って私に渡し「ありがとうございました」と礼を言う。多分、時給七百円か、七百二十円か、その程度の賃金だろう。なんだか申し訳ない気分になった。彼が僕の目の前でしている労働は、どう考えてもアルバイトの待遇でさせられる仕事の範疇ではない。

 社会が生み出す利益の再配分のシステムが狂っている。片や大企業の雇われ社長が八億だか九億だか、アホみたいな年収を得ている一方で、時給七百円そこそこで税金から水道料から宅配の受付業務までやらされる。大企業の雇われ社長とコンビニのアルバイト店員の差こそあれ、一人の人間の能力に、それほどの差があるはずがないではないか。私たちの社会全体の労働への対価の基準、社会全体で産み出した果実を分配するルール、システムがおかしくなっている、絶対にそう思う。

 枕をもう一題。国際テロ組織アル・カイーダの指導者、ビン・ラーディンが米軍の特殊部隊に殺された。そのニュースを伝える日本の新聞の彼の呼び方が、変だ。私が読んでいる朝日、日経、道新の各紙は「ビン・ラディン」か「ビン・ラーディン」かは別にして、名前の後に「容疑者」と付けている。読売だけは「ビン・ラーディン」と呼び捨て。ちなみに、手持ちの広辞苑を引くと「容疑 犯罪を犯した疑い。―者」とある。つまり、読売を除く各紙は、いわば「米国は、犯罪の疑いのある“ミスター ラディン”を殺した」と報じている。

 パキスタンという主権をもつ国家に、何の相談も報告も通告もせず、勝手に軍隊を送り込み、犯罪を犯した疑いのある男に裁判で弁明する機会も与えず、その家族や仲間もろとも射殺する。これが米国流の民主主義なのですね。東日本大震災に際して、「おともだち作戦」を展開してくれた国だけれど、それには感謝するけれど、こんな国とお友達になんか、僕、なりたくないですけど…。

(工藤 稔)

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