前号の続きです。三月一日午前十時、宜野湾市の米海兵隊・普天間飛行場を一望する嘉数高台(かかずたかだい)公園から、駐機するオスプレイを眺めた。ひどい日は朝八時頃から、夜十一時頃まで、「タッチ・アンド・ゴー」と呼ばれる着陸と離陸を連続する訓練が繰り返されると聞いていた。だが、私がいた時間はただの一機も飛ばなかった。

 展望台から駐車場に向かう途中に保育園があって、子どもたちが小さなグラウンドでボール遊びをしていた。「世界一危険な飛行場」と呼ばれる滑走路の延長線上約一・二㌔にある保育園。この上空で、日常的にタッチ・アンド・ゴーの訓練が行われる。

 米軍は、自国ではもちろん、他の国では決して許されないこうした「低空飛行訓練」を沖縄では行う。米軍基地は「日米安保条約上の提供施設」として、航空法の適用除外になっているからだそうな。

 海兵隊の新基地建設が計画されている名護市辺野古(へのこ)まで乗せてもらうタクシーの運転手、宮城さん(49)は、「基地の中のアメリカの住宅や学校の上は絶対に飛ばないそうですよ。当たり前ですよね。訓練だから、落ちることもありますから」と真顔で言う。

 宮城さんが、「国際大学に寄りましょうか」と提案してくれた。二〇〇四年八月十三日午後二時十五分ごろ、普天間基地所属の大型ヘリコプターが訓練中に墜落し、沖縄国際大学の建物に接触、炎上した。その現場が保存されているという。 大学は、商店や飲食店、ガソリンスタンドなどが立ち並び、住宅が密集する地域にある。ヘリが接触した建物は二年後に建て替えられたが、墜落現場に近いキャンパスの片隅に、ヘリの墜落で燃えた黒く焦げたケヤキの木と、ヘリのプロペラがこすった痕が刻まれたコンクリートの壁の一部がモニュメントとして保存されている。

 宮城さんは、「事故の直後に、米兵が大学の塀を乗り越えてやって来て、日本の警察や消防、市や大学の関係者などは全てシャットアウトされました。米軍はヘリの機体だけでなく、土まで掘り起こして持って行ったんですよ。放射性物質が搭載されていたとか、特殊な燃料の機密を守るためだとか、噂はいろいろ流れたけど、本当のことは分からなかったみたいです」と話した。

 僕もそうだが、本土の人間の多くは、そう言えばそんな事故もあったな、くらいの認識だと思う。だが、沖縄の人たちは、細部まで記憶し、自らの考えも加えて、きちんと伝えてくれる。宮城さんだけでなく、今回沖縄でお会いした人たちは、みんなそうだった。当事者と傍観者の違いだろう。

 辺野古基地がある宜野湾市から、国道五十八号を北上し、嘉手納基地に向かう。道路の両側に延々と十㌔以上、鉄条網が続く。途中、鉄条網が途切れた土地で、大型重機を使って住宅の造成工事が行われている。

 宮城さんは言う。「返還された土地で、工事をやっているよって見せているのさあ。基地の返還が着々と進んでいるところを見せないと、沖縄の人が納得しないから、ガス抜きさあ」と苦笑いしながら、「でもね、これも鳩山さんのお陰さあ。あの人が『最低でも県外』って言ってくれたお陰で、本当にわずかずつだけど、基地が返還され始めたんだから」と再び鳩山由紀夫・元首相の名前と功績を口にした。

(工藤 稔)

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