この原稿が紙面になって読者の元に届くころ、私は手術を終えて病院のベッドにいる予定だ。もしかすると最後になるやもしれぬ原稿、軽い話題にしようと考えた。というのも…

 今年一月三十日、間質性肺炎のため八十歳で急逝した、歌人の西勝洋一さんが病床で準備を進めていた歌集『晩秋賦(ばんしゅうふ)』をいただいた。二〇〇二年から亡くなる直前までの五百八首の歌が、年ごとに章立てされて収められている。氏が会長を務めた旭川歌人クラブの短歌大会を幾度か取材したが、その作品にじっくりふれるのは初めてだ。

 たまたま氏の家の近く、石狩川の堤防脇に住んでおり、いまは亡き互いの愛犬の散歩を通じた“犬友”という縁があった。英語の教師として市内近郊や道北地域の小中学校で長く教壇に立つ傍ら、広く名を知られる歌人、旭川歌壇のリーダーの一人でもあった。

 奥様によれば、亡くなる前日、初めて、第五歌集を出す予定だと聞かされたという。最後の歌集になるとの予感があったのかも知れない。ページを繰り、声を出して読みながら、「この方は、質の高いユーモアの精神をお持ちだったのだなあ」と、家人と二人で笑った。例えば――

 〈バイアグラをくれると言いしPTA会長も逝き野を遠ざかる〉
 〈給料泥棒みたいな教師が何人かいたなと思うあの職場には〉
 〈乱暴な電話を寄越す歌人あり歌はこの人を養わぬらし〉
 〈半分も席の埋まらぬ葬儀終え同期のNはこの世を去りぬ〉

 学生の頃から六十年近く短歌を詠み続けてきた氏が最期に遺そうと自選した諧謔(かいぎゃく)を湛えた歌の数々。私も、その「軽く、さようなら」にならいたい、そう思った。氏の品位には到底、及ぶべきもないが。

 以下は九月二十一日に、友人に送ったメールである。

 ――我が家は堤防のすぐそばで、石狩川の流れが望めます。その立地から、堤防上を散策する人や通学・通勤の人の姿が目の前で眺められます。
 その堤防の上で、カラスやトビに餌を与える不届き者がたまにいるんです。ベランダから注意をすると、ほとんどは黙ってやめて帰ります。中には、「ここはお前の土地か?」と抵抗する者もいますが、「迷惑だ。そんなにやりたいなら自分の家の近くでやれ!」と言うとブツブツ言いながら姿を消します。

 先日、二日の昼前、携帯電話をかけながら、自転車の前籠からパンくずと思われるものを放り投げてカラスに与えている女がいるのを見つけました。電話をかけているのは、注意をしても聞こえないというカモフラージュのようです。カラスがまたたく間に三十羽ほど集まって鳴き騒ぎます。僕は玄関を出て、堤防の階段を昇りました。「激しい運動厳禁」ですから、走るわけにはいきません。女は電話をかけながら、あざけるように堤防上をゆっくりと自転車を漕いで逃げました。

 その四日後の早朝、堤防と自宅の間ののり面に、生ゴミが散乱しているのを畑に出た僕が見つけました。ゴミの中に、隣家あてのハガキがあったから、我が家の前にあるゴミステーションから持ち出して、堤防上から放り投げたようです。カラスが突いて、ゴミをまき散らしたんですね。その日は火曜日、燃やせるゴミの収集日で、隣家のおばさんが前夜にゴミ袋を出したのでしょう。

 次の燃やせるゴミの収集日、金曜日とその翌週の火曜日に、僕は散歩を兼ねて夜明け前から自宅の周囲や堤防上をパトロールしましたが、犯人は現れませんでした。いやがらせは一回で終わりかなと思っていた矢先、燃えるゴミの収集日ではない十四日水曜日、朝五時四十分ごろ、今度は自宅の前側の堤防のり面に燃やせるゴミの黄色い袋と生ゴミが散乱してカラスが五十羽も集まっていました。

 一応、交番に行って相談し、付近のパトロールを増やすようお願いしてきました。もし、現場を押さえたときに、警察に事情を説明するのに都合がいいかな、と思いまして。
 執拗な性格と見えるので、しばらく時間を置いて、またゴミを捨てに来るでしょう。家人は「放火されるようなことにならなければいいけど」と心配しています。

 友人からすぐに返信が届いた。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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