先の市議会議員選挙で当選した議員による初の臨時議会が開かれて十九日、新たな議長と副議長が決まった。小紙一面では、事実関係を淡々と書いている。二十日付北海道新聞の記事も、「第二会派の立憲民主党系『民主・市民連合』など野党会派は、地方自治法に基づく全会一致による『指名推薦』に応じず、選挙戦となった」と何かゴタゴタらしきことがあったと匂わせるだけで、裏話には触れず、さっぱり分からない。小紙記者の取材と証言を引いて、議長選のちょっと生臭い話を書いてみよう。

 議長に与党最大会派の自民会議の福居秀雄(66)が選出された。議長は通常、最大会派から選出される慣例からすると、順当ということになる。だが、ここに至るまでの経過は、期数の多い古参議員が「こんなに外部から色んな力が入り込んできた議長選は記憶にない」と嘆息するほど異例なものだった。
 当初、会派内では福居のほか、元議長の安田佳正(57)が議長就任に強い意欲を示し、会派幹部の調整にも応じる気配を見せなかった。安田は二〇一九年五月から二〇二一年五月まで、議長を務めた。新型コロナが猛威を振るった時期と重なる。安田は「人との接触や移動が制限されて、対外的な議長としての仕事は、ほとんどできなかった。女房にも『何もしていないんだから、議長の給料を返上すれば?』と冷やかされた。悔しい思いがある」と議長就任にこだわる理由を説明する。

 この頃から、今津寛介市政誕生の原動力となった経済界の関係者から、自民会議の議員に「福居推し」を強要する電話が盛んに入るようになった。この動きが功を奏したのか、会派内で福居の優勢が明らかになった十五日、安田は自ら「降りる」と明らかにした。これで「福居で決まり」という情勢になった。

 ところが、当初から議長候補を出すつもりがなかった野党最大会派の民主連合が、「自民会議はまとまっていない。公明党が福居に難色を示している」とみて、与党会派・公明党会長の中村徳幸(62)を担ぎ出し、野党会派の取りまとめに動き始めた。

(工藤 稔)

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