散々な年末年始だった。師走の半ば、ダイイチでバターを特売していると勇んで出掛けた家人が、帰り道で転んで足のくるぶしを折って入院した。翌週のトドックで、バターが届いた話を病院の家人にメールで報告すると、「あちゃあ、冬は危ないから、どんなに魅力的なモノがあっても買い物には出かけないって誓っていたんだった…」と返信が来た。七十歳の峠を越すと「誓い」まで忘却の彼方になるってことだ、お互いに。

 思いのほか経過が良く、予想外に年をまたがずに退院して来て老夫婦ともに喜んだのだが、今度は私が何年来という風邪をどこかでもらって来て、それを退院し立ての家人に感染させた。私の風邪は、さほど熱も出ず、喉が少し痛いくらいで治ったのだが、家人の方は高熱が出て、三十日から元日を含む三が日をベッドで過ごすはめに。元旦に孫にお年玉を手渡すという夢もかなわなかった、のだった。こういうのを、いわゆる「弱り目に祟り目」というのでしょうね。

 二日、釣友と誘い合わせて、釣具店の初売りに出かけた。まだ家人から許可が出ていないから、船には乗れないのだが、除雪のときに身に着ける暖かい手袋を買った。登山用の手袋ももちろん暖かいが、冬の釣り用のそれも、値段はそこそこ高価だが、なかなかの機能なのだ。友人はワカサギ用の電動リールを手に入れて、サクラマスの釣行の予約をして、で、「どこかで昼飯でも食うか」となった。

 昼間、仕事の世界が異なる彼と一緒に飯を食う機会なんてそうそうない。今年の「くいしんぼうカレンダー」にも登場したカレーの店に行くことにした。そこで、注文した料理を待ちながらの会話。

 「正月、娘やら、婿やら、孫やらが集まってワイワイやったけどさ、戦争やってる国では、それどころじゃないんだよな」と、珍しく友人がしみじみ言う。その話で、目の前に昨年十一月十五日付の朝日新聞の一面に載った写真がまざまざと浮かび上がった。産まれたばかりの十人ほどの赤ん坊が白いオムツをして、多くは細い足や手に点滴の管をつながれて、大きなカゴのようなベッドに転がされている。写真説明に「ガザ市にあるシファ病院の医師が公表した未熟児の写真=12日、AP」とある。

 社に戻ってから、スクラップを探した。記事には(エルサレム=今泉奏)の署名がある。見出しは「暗闇 消えゆく赤ん坊の声」「ガザ 包囲されたシファ病院の医師 薬もない でも見捨てない」。書き出しは、こうだ。

(工藤 稔)

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