新年早々、一月十一日付朝日新聞一面トップの記事の見出しは「辺野古軟弱地盤 国が着工」「玉城知事『粗雑な対応』」。以下リード。

 ――米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、防衛省は十日、軟弱地盤が広がる辺野古北側の大浦湾で工事を始めた。地盤の改良工事のための設計変更を国が県に代わって承認した初の「代執行」を経て、県が認めなかった区域での着工に踏み切った。沖縄県の玉城デニー知事は強く反発している。(引用終わり)

 現地で暮らす人たちには申しわけないが、沖縄は日本の民主主義を守る闘いの最前線にあると思う。一九七二年五月に沖縄の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還された「本土復帰」から半世紀を経た「いま」も、沖縄は「真の復帰とは、民主主義とは何か」を問いかけ続ける。

 この国の矛盾、ゆがみ、不条理が、すべて辺境の地・沖縄に凝縮して現れている。私は二〇一六年の冬、辺野古に出かけた。そのリポートを小欄で六回にわたって報じた。知り合いからは、「沖縄の話は、いい加減にしたら?」と抗議を受けたが、めげずに書いた。そのリポートの一回目に私は次のように書いている。

 ――二月二十九日から、三泊四日の日程で沖縄に行って来た。沖縄本島の面積の一八%を米軍施設が占める。三千七百㍍の滑走路二本を持つ、海外最大の米軍基地・嘉手納基地にいたっては、嘉手納町の実に八三%が基地である。県庁がある那覇市から、それらの基地に遠慮するように走る国道を通って、新基地が建設される予定の名護市辺野古に向かった。
 断わっておくが、「世界一危険な飛行場」と呼ばれる普天間基地が、辺野古に移設されるわけではない。日米両政府が一九九六年(平成八年)、辺野古に新たな巨大基地を建設することを条件に、米国が普天間を返還することで合意した。しかも、建設費は日本が持つ。私たちの税金で、米軍のための新基地を造って差し上げましょうというわけだ。
 「移設」と言うと、何となく既成事実を認める感覚で、「あらそうなの」となりがち。言葉のマジックである。事実は全く異なる。世界一危険で、ボロボロの、早晩閉鎖しなければならないような飛行場を、ただで、ピカピカの巨大基地と交換して上げるのよ。ところが、NHKも読売も朝日も毎日も、道新でさえ、「移設」という言葉を使う。「誤報」に近いと私は思う。
 朝日のリードにある「代執行」とは、地方自治体に任されている事務を、国が代わって行う手続き。憲法が保障し、民主主義の基盤といわれる地方自治の理念に反しかねない異例の措置だ。裁判所は、「沖縄」に限っては一貫して国の側に立って判決を下す。この国に三権分立なんてホントにあるのかよ、って感じ。
 朝日の同日付社会面に「遺骨眠る土使用、人道上の問題 収集団体代表ハンスト」の見出しの記事が載った。引用しよう。
 ――那覇市の県庁前ではこの日正午、沖縄戦戦没者の遺骨収集を続ける市民団体「ガマフヤー」代表具志堅隆松さん(69)が工事の中止を求めてハンガーストライキを始めた。具志堅さんのもとにはまもなく、着工のニュースが届いた。
 「いきなり後ろから頭を殴られたような気がする。話し合いで解決する見込みはもうないのか。無力感にとらわれる」。具志堅さんはそう口にした。ハンストに及んだのは、埋め立て工事に使われる土砂に、戦没者の遺骨が混じる可能性が拭いきれないためだという。
 太平洋戦争末期の沖縄戦では日米で二十万人以上が犠牲になり、県民は四人に一人が亡くなったといわれる。年間五十前後の遺骨が近年も発見され、なお数千の遺骨が地中に眠るとみられるなか、具志堅さんは四十年以上、遺骨収集を続けてきた。
 そうしたなか防衛省は大浦湾側の埋め立てに使う土砂について、二〇年に県へ提出した設計変更申請書の中で、最大の激戦地となった沖縄本島南部を調達先に追加。現在も変更していない。
 具志堅さんは十二日夕までハンストを続ける。「遺骨が眠る土砂を基地建設に使うのは、辺野古移設の賛否にかかわらず人道上の問題だ。戦没者が冒涜(ぼうとく)され、遺族が裏切られようとしている問題を全国の人に考えてほしい」(後略・引用終わり)

 この具志堅さんもそうだが、「うちなんちゅう(沖縄の人)」は、真っ当なことを真っ当に口にする。一六年の取材でお会いした西平伸さんもそうだった。ダイビングチーム「すなっくスナフキン」の代表。お会いした当時五十八歳だったから、いまは六十六歳か。子どもの頃から親しんだ大浦湾の自然や生き物を守りたいと潜って写真を撮り続け、一五年には海図鑑『大浦湾の生きものたち―琉球弧・生物多様性の重要地点、沖縄島大浦湾』(南方新社)を刊行している。

(工藤 稔)

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