ちょっと前置きが長くなるがお付き合いいただく。運動のそもそもの始まりは、二〇一〇年冬に開かれた中小企業家同友会西支部(当時)の「東海大学旭川キャンパスの閉鎖について考える」と題する公開シンポジウムだった。東海大学旭川キャンパスの卒業生は市内近郊の多くの企業に就職している。「旭川キャンパスがなくなったら、困る」という経営者たちが企画したシンポジウムだった。

 翌年初夏、今は亡き長原實さん(カンディハウス創業者)を口説き落とし、会長を引き受けていただいて、「旭川に公立『ものづくり大学』の開設を目指す市民の会(市民の会・現在は伊藤友一会長)」が立ち上がった。間もなく、まちの人口の十分の一を目標に署名活動がスタート。当時、病を得ていた長原さんも、食べマルシェや冬まつりの会場に立って署名を呼び掛けた。長原さんの寿命を短くしてしまったかも知れない、という慙愧の念が今もある。

 以後、市民の会は識者らを招き講演会やシンポジウムを繰り返し開催。一二年十一月二十九日には、市長と市議会議長に、集めた四万三千筆余りの署名簿を提出した。

 市民の会のこうした活動が実を結び、二〇年十月、旭川市は私立旭川大学を公立化した後に市と市民の会、市議会はデザインを中心に据えた新学部「地域創造デザイン学部・ものづくりデザイン学科、地域社会デザイン学科」を開設することで合意。市は同年十月、「付帯決議を踏まえた整理」を議会の特別委員会に示し、特別委員会は了承。予算が執行された。

 その後、世の中はコロナ禍に見舞われた。市民の会の活動も停滞。市民の会の中心メンバーは、まさか市と議会と市民が公の場で合意して決めた、「地域創造デザイン学部・ものづくりデザイン学科、地域社会デザイン学科」が反故にされるとは想像もできなかった。まっ、詰めの甘さを指摘されても仕方ないかも知れない。私たちは、最後まで執拗に新学部の在り方を見届けなければならなかったのだ。だがね、手弁当の市民グループですよ。市民の会にも瑕疵(かし)があると批判されても限界があるわな。

 そして昨年六月、旭川市立大学が定めた基本計画をもとにした補正予算案が議会に提出された。その時点で初めて、地域創造デザイン学部は「地域創造学部」に、ものづくりデザイン学科と地域社会デザイン学科は、それぞれ「アントレプレナー」と「まちづくりプランナー」の二コースに変更されていることを知った。つまり、市民の会が運動の最初から求めていた「デザイン系」の学部とは似て非なるものに変えられていたのだ。

 市民の会は、市と大学に対して「三者が合意した学部に戻してほしい」と意見交換の場や要望書を提出して再三訴えたが、市も大学も様々な言説を弄しながら、正面から応えようという意思を最後まで示さなかった。

 市民の会のメンバーに送られてきた会員のメールを。

 ――伊藤さんの詰めの甘さとかではありません。

 市と議会と市民の会が合意した「付帯決議に関する整理」を勝手に反故にした市の責任であり、市民に対する裏切りです。今津市長の責任は重いと思います。

 一面にある通り、市民の会は、これ以上議論を長引かせれば、二六年春に予定されている新学部の開設が延期される可能性も否定できないとして、三月二十八日、市と大学に「新学部についての見解」を提出、併せて記者会見をひらいて「見解」を公表、報道陣に説明した。

 市民の会は怒っている。落胆し、ものすごく怒っている。見解の後半の段落を引用しよう。

(工藤 稔)

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