img時代を映す歌の数々

大正四年に太田水稲が主宰した短歌の同人『潮音(ちょうおん)』と昭和五年に道内で小田觀螢が主宰した『新墾(にいはり)』。旭川市内では、その二つの同人が一緒になり『潮音・新墾旭川支社』(横山秀夫支社長)として活発な創作活動を展開している。同支社は、横山さんを編集長として、これまでの活動の歴史をまとめた『櫟』を発刊した。

横山さんは「同人がどんな歴史をたどって現在に至っているのか、誰に聞いても詳しく知っている人はほとんどいなかったことから、せめて自分が属している同人のことを知っておこうと三、四年前から資料を集め始めました」とその動機を語る。編集委員は横山さん以下五人。すでに同人を離れてしまった人たちからも多くの資料が寄せられ、「初めは年表だけでもと思っていた構想が段々とふくらみ、新墾の同人誌『こまくさ』の第一集が発行された昭和三十五年から現在までの歌友の作品を掲載するものとなりました。その時代、時代を映す歌が数多く詠まれています」と解説する。

編集作業を手がけ、発刊まで要した時間は二年。横山さんがパソコンで、まずできあがっている原稿を打ち込む作業から始め、後から判明した事実や歌の原稿などを追加するという方法で作業を進めた。

『櫟』は二百六十部製作し、潮音や新墾の関係者や図書館、公民館に寄贈した。「櫟を見た人たちからは『たいへん懐かしい人の歌を読むことが出来ました』という嬉しい電話もいただきました」と発刊の手応えを感じている。

横山さんは元小中学校教諭で三十八年間教鞭をとった。その後の私立高校時代も含めると五十年近い教員生活になるというが、受け持った教科は英語で、短歌の世界とは無縁だった。「仕事を離れると何もやることがなくなり、近くの公民館でやっていた短歌の会に入ったことがきっかけとなりました。まだ短歌を始めて十年ほどですが、大きな魅力を感じています」と、今ではいつもメモ用紙と鉛筆を携帯し、気付いたことを筆記しておく習慣が身に付いてしまった。これまで詠った歌で気に入ったものを手元に残しており、その数は四千首を超えている。「読み返してみると、その時々の心情が思い返されます。若い人たちにも、ぜひ短歌作りに参加していただき、短歌の奥深い世界を感じてもらいたい」と熱っぽく語る。