東日本大震災の被災地を歩いて回った岡田良平さん(76)の「東日本大震災に学ぶ防災と復興」と題した報告会が一月二十六日、美瑛町町民センター(寿町二)で行われた。
美瑛町でカフェを営む岡田さんは二〇一一年の震災直後から、被災地の子どもたちを同町に招くなどの運動に参加。以後十六回、釜石市を中心に被災地でボランティア活動に取り組んできた。
その後、亡き妻や兄弟らの慰霊に四国八十八ヶ所の巡礼の旅を三年かけて、順・逆打ちを結願。その足で三陸海岸の約五百㌔を十七日かけて、地元の人たちと交流しながら、つぶさに見て回った。これまでは車で訪れていたが、今回は鎮魂の意を込めて“歩き巡礼”の旅とした。
岡田さんは冒頭、旅の感想を「人は忘れる。そして易きに流れ、また悲劇を繰り返す」と話した。明治、昭和と二度、津波に襲われた三陸海岸。「その教訓を活かし、難を免れた地域もあったが、多くは教訓を活かしきれず、大きな犠牲者を出したことが悔やまれる」と語った。
フェリーで上陸した八戸市から仙台市まで、十八市町の被災地の現状をスライドを使って解説した。
避難の遅れから多くの犠牲者が出た、釜石市の大川小学校の校舎は「震災遺構」として残されている。ここで、震災のことを語り伝えている佐藤敏郎さん(大川伝承の会)の活動にも触れ、「視察と称して来ている議員の中には、ポケットに手を入れて聞いている人もいた。一方、アメリカからの団体は語り部の話を熱心に聞き、説明が終了後、皆で『ふるさと』を合唱し、その歌を聞いた、回りにいた人たちも一緒に歌い出し大合唱となり、歌い終わると皆で抱き合って泣いた、という話も聞いた」とも話した。
最後に「皆さんも一度、被災地を訪れてください。『るるぶ』の逆の精神で、『学ぶ・考える・役立てる』という思いを持って訪れることが必要ですが、地元の小さな居酒屋で、主人らと会話を交わすだけでもいいと思います」と呼びかけて終わった。
この後、被災地のボランティア活動を通じて岡田さんと親交のある、旭川市立大学教授の大野剛志さんが講演した。大野さんは、東日本大震災の被災地や一八年の北海道胆振東部地震で被災した厚真町の現地視察、学生らとのボランティア活動に取り組んでいる。
大野さんは専門の地域社会学の立場から、「岩手県山田町では役場が流され行政機能が失われたが、町内会や自治会がその役割を果たした。災害時は、地域のつながりが重要となる。また、障がい者が安心して避難できる福祉避難所は必要不可欠。避難する際、なくてはならないのが個人情報だが、信頼関係が基礎になることから、日ごろの交流が大切。震災後のまちづくりは、シンクタンク任せではなく、住民の声を反映させたものでなければならない」などと語った。
大野さんと交流のある岩手県在住の元高校教師の吉田矩彦さんは、オンラインで「釜石市は人と人との繋がりを重要視したまちづくりを進めている。智恵を出し合い、皆が安心して暮らせる、まちづくりをしなければならない」と強調した。(佐久間和久)