東光公民館で古代史談話会を主宰している今井勝人さん(77)が著書「蚊遣り」=写真=を出版した。旭川の草創期に活躍した八人の生涯についてまとめており、彼らの生き方を通して明治中期の旭川を知る“人間ドキュメント”だ。

 今井さんは元高校の社会科教諭で、定年退職後は旭川市の市史編集課の嘱託職員として勤務した。市史編纂では教育と宗教を担当し、その傍らで調査のまとめを旭川の文芸誌「Petanu」に寄稿してきた。今回の著書はそれらの寄稿を一冊に収録したものだ。

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 本書が最初に取り上げている人物が大河内三千太郎。今井さんが忠別小学校の新築寄付金募集の趣意書(明治二十六年)を調べる中で、当時の神居村総 代人だった三千太郎の名を目にした。以来、今井さんは調査の中でしばしばこの名前に触れたことから、三千太郎の生涯を調べてみようと思い立った。

 三千太郎は一八四六年(弘化三年)、千葉・木更津の紺屋に嫡男として生まれたが、商売は継がず、剣の道を突き進んだ。江戸の道場で一心に鍛錬し、 後に戊辰戦争に幕府軍として参加。箱館戦争では士官として戦うものの敗軍の兵となる。放免後は東京に戻って結婚。再び剣の道を歩もうとするが、すでに剣で は食えない時代が始まっており、剣の大道芸のようなことをして過ごした。

 明治二十二年、三千太郎は空知集治監(現在の刑務所)の看守となり渡道。退職後の同二十四年から当時三軒しか家のなかった神居村に住んで、運送業 を始めた。同村の総代人となり、旭川最初の公立小学校である忠別小学校の設立、雨紛・神居分校の設立に力を尽くした。また演武場の創設に奔走したほか、上 川中学校(現・旭川東高)の武術師範も務めるなど、地元の教育に貢献。大正七年十一月二十四日に満七十二歳で他界した。

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 著書では大河内三千太郎のほか、旭川育児院の創設者の山下関吉、女子教育に貢献した高平常世と澤井兵次郎、慶誠寺二代目住職で俳人の石田慶封(雨圃子)、弁護士の大塚守穂、実業家の荒井初一、下村文庫創設者の下村長蔵について、詳細に記されている。

 こども冨貴堂(七条買物公園、TEL25―3169)で購入できる。千五百円(税別)。