屯田兵の二世、三世を中心に組織する旭川屯田会(三上善三郎会長、会員数百七十七人)が、旭川屯田の百二十年を記念して冊子=写真=を発行した。
「旭川屯田百二十年記念誌」というタイトルが付けられた冊子の中核をなすのは、平成十六年から二十年までの五年間に行った五回の勉強会の録音を書き起こしたものだ。この勉強会では屯田二世と三世が講師を務め、一世から語り継がれた屯田の逸話などを語っている。
第一回から三回まで講師の一人として話した故・芦原厳夫さんは、兵村の開拓の厳しさを表すエピソードとして、こんな話を残している。
――旭川の兵村には、永山からただの一人もお嫁さんが来ていない。「旭川の兵村に嫁をやったら、娘を殺すようなものだ」と言われるくらい、密林の 開拓は厳しかった。ある時、旭川兵村の娘四人が風呂敷を首にかけて脱走を図った。川に行く手を阻まれ、笹薮を分けて下流に逃げていったら、親父が棒を持っ て待ち構えていた。娘たちは皆首筋を捕まえられて引き戻された。女の人は将来にまったく希望など持てる状況でなかった――。
このように、公式な記録には残りづらいが後世に伝えるべき屯田兵の暮らしなどについて、やわらかい語り口調で収録されている。
編集長を務めた旭川屯田会副会長の井田友三さん(75)は「兵村に詳しい人たちがまだ健在である今はよいが、いなくなってしまえば記録もなく、歴史を残せなくなってしまう。そうした事態をぜひとも避けたかった」と完成した冊子を手に話す。
冊子には、一九四〇年(昭和十五年)に行われた屯田兵九人による座談会、また一八九二年(明治二十五年)に入地した青森藩士族の日記などもあわせて掲載されており、これらも興味深い記録だ。
旭川兵村記念館で実費販売している(千五百円)。問い合わせは同館(東旭川南一ノ六、TEL36―2323)へ。