アイヌの人たちとの25年間を振り返る

北大名誉教授でアイヌの権利回復の運動を続ける小野有五さんが、自身の著書『「新しいアイヌ学」のすすめ 知里幸恵の夢をもとめて』(藤原書店)について語る講演会が九月二十八日、永山住民センターで行われた。旭川に公立中学校を創る会(中島啓幸代表)の主催。

 東京から札幌に移住して間もなくの頃、『知里幸恵 遺稿 銀のしずく』を読み、初めて知里幸恵と出会い、アイヌの人たちのことをもっと知らなければと思った一九九七年から、現在に至るまでのアイヌの人たちとの交流と差別撤廃、権利回復運動に関わった二十五年間を振り返った。

 小野さんは「これまで『アイヌ学』と呼ばれてきた学問は、和人側の理不尽な行為の上に、あるいは意識するとしないとにかかわらず、和人とアイヌの明らかな上下関係をもとに成立してきたともいえる」として、「アイヌの人たちと一緒になってやってきた関係性と自分の思い、自分史を語る『新しいアイヌ学を』という気持ちを込め、書いた本」と語った。

「アイヌにとって、激動の時代」

 小野さんは、この二十五年間を「アイヌにとって、激動の時代」と表現した。

 九七年の「旧土人法」廃止から始まり、「アイヌ文化振興法」制定、アイヌ語地名平等併記を求める運動、知里幸恵生誕百年、シレトコ世界自然遺産へのアイヌの深い関与をIUCN(国際自然保護連合)が認知、国連の「先住民族権利宣言」、「先住民族サミット」アイヌモシリ開催、「知里幸恵記念館」建設、「アイヌ民族支援法」制定、ウポポイ建設等々、そして今年は知里幸恵没百年。小野さんは、その一つひとつについて説明・解説した。

 アイヌ語地名の平等併記について「平等な併記を続けているのは、旭川だけ」と評価した。アイヌ語地名を初めて平等に併記した「チカプニ 近文」の地名表示板ができたのは二〇〇三年。「市の予算が足りず、二本の支柱を立てて地名掲示板を作るお金がなくなってしまったため、この地名表示板は近文小学校の校門脇のフェンスに簡易的にビスで留めるということになってしまった。しかし、かえってそのほうが、登校してくる子どもたちが毎日、目にできるので、よかったのではないかと思っている」とユーモアを交えて語った。

 また「DNAなど最新の研究からアイヌの祖先は一万年以上前、マンモスを追いかけてシベリアから渡ってきて、そのまま北海道にとどまった人たち」と語り、これまで考古学者や歴史学者が作ってきた“歴史”の誤りについて、第五章に「アイヌの歴史を取り戻す」で詳細に記した。

民族等の違いを超えた架け橋に

 知里幸恵記念館が完成し、開催した先住民族サミットをやり終え、北大を定年退職した後、「アイヌの人たちの活動に深く関わることはない」と思っていた小野さんに、昨春、アイヌ文化伝承者で古布絵作家の宇梶静江さんからかかってきた一本の電話が、この本を書くきっかけとなったという。

 小野さんは、本の「おわりに」の中で、「一人ひとりの『アイヌ・ネノ・アン・アイヌ(人としての人、人間らしい人間)』同士がつくりあげる、民族や宗教や国籍の違いを超えた、架け橋(ルイカ)としての『学』になることを願います。そして、少しでも、そのお手伝いができればと思います」と結んでいる。

 A五判、四百四十二㌻。三千六百三十円(税込み価格)。こども冨貴堂(七条買物公園)など、市内書店で販売中。(佐久間和久)