3月31日、サンアザレアホールで上映会

 一九六二年(昭和三十七年)十二月、恵庭町(現恵庭市)の自衛隊島松演習場で、近くで酪農業を営む野崎健美(たけよし)さん、美晴(よしはる)さん兄弟が、自衛隊の通信線を切断した。ジェット戦闘機や大砲の騒音によって、牛の乳量が落ち、家族は健康を害し、交渉しても約束が守られないことから、やむにやまれぬ実力行使だった。自衛隊の違憲性を真正面から問うことになる「恵庭事件」である。

 三年半に及ぶ公判の末、一九六七年(昭和四十二年)三月二十九日、札幌地裁で、兄弟に「無罪」の判決が下されてから半世、野崎兄弟と弁護団、支援者の姿を克明にたどるドキュメンタリー映画『憲法を武器として―恵庭事件 知られざる50年目の真実』(稲塚秀孝監督・プロデュース、百十分)が完成し、全国各地で自主上映会が行われている。

 野崎兄弟の実妹、平田寿子さん(74)が在住する旭川でも五日夜、三十人が参加して第一回実行委員会(委員長・菅沼和歌子弁護士)が開かれた。

 上映会は三月三十一日(土)、旭川建設労働者福祉センター・サンアザレアホール(市内五ノ六)で行い、①午前十時、②午後三時、③同六時半の三回上映。②と③の間に、稲塚監督が製作秘話などを話す。

 前売りチケットは、大人千円(当日千二百円)。大学生・障がい者は五百円。高校生以下無料。こども冨貴堂(七条買物公園TEL25―3169)、あさひかわ新聞(八ノ六TEL27―1577)などのほか、実行委員が扱っている。

 【恵庭裁判】野崎兄弟は当初、器物損壊罪で調べられたが、国は自衛隊法違反に切り替えて起訴した。自衛隊法違反で処罰することで、自衛隊の存在が合憲であることを勝ち取ろうとしたとされる。しかし、三十回の公判で裁判は国に不利な情勢になる。そして兄弟に「無罪」の判決が下されたとき、検察官は大喜びで、控訴もしなかった。辻三雄裁判長は自衛隊についての憲法判断をせず、当時、「肩すかし判決」と揶揄された。
 その判決から五十年、この映画の最後に、辻裁判長の次女が、生前の父親から直接聞かされた話として「確か最高裁からだったと記憶していますが、憲法判断は回避せよとのお達しがあった」と証言する場面がある。知られざる五十年目の真実――。