鴨長明(一一五五―一二一六)の「方丈記」(一二一二)を専門家たちがそれぞれの視点から読み解く「方丈記と鴨長明」が勉誠出版(東京)から出版された。同書の中で、俳句作家・真宗学者の西川徹郎氏が十三人の執筆者の一人として自説を論じている。
方丈記に対する一般的な認識は、長明が出家遁世して「無常」に思いをめぐらせた文学というものだ。しかし西川氏は真宗学者の立場から、方丈記が序段で無常を表し、終章では仏陀の教法上で無常と対を成す「仏性の常住」を表した仏教文学であると指摘している。
方丈記が記された年は、法然が死去した年でもある。その五年前には朝廷権力による弾圧「念仏停止(ねんぶつちょうじ)」が行われ、法然・親鸞は流罪とされている。西川氏は、方丈記の奥書にある「桑門ノ蓮胤」の記名について、「この危機的な状況の中で自らを浄土宗の僧と名乗った長明の悠然とした仏弟子の宣言」であるとしている。
また、同じく奥書にある「不請(ふしょう)阿弥陀仏」は、方丈記の中でも難解な部分とされ、解釈には諸説がある。これについて西川氏は、既出の諸説は仏教認識の基本的な錯誤にもとづいていると指摘。「不請阿弥陀仏」は南無阿弥陀仏の名号そのものであり、臨終時の来迎を請うために行う念仏行を否定するための表現でもあったなどと論じている。
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また西川氏は、時期をほぼ同じくして上梓された「金子みすゞ 愛と願い」(勉誠出版)の中にも「金子みすゞのダイイングメッセージ」と題した一文を寄せている。金子みすゞの作品「あさがお」の中にある「蜂」の文字は、金子みすゞの才能を見い出した詩人・西條八十の「八」を示したもので、同作が八十にあてた遺言であると自論を展開している。
両書とも二千八百円(税別)。ジュンク堂、コーチャンフォーで取り扱っている。