市内在住の檜垣桂子さんが出版した句集「白玉(しらたま)」が第三十一回北海道新聞短歌賞・俳句賞の俳句賞佳作に選ばれた。

 檜垣さんは一九三五年(昭和十年)神楽町就実(現・旭川市)の生まれ。「戦時中、十歳上の姉が学校で借りてきた源氏物語を、明治二十八年生まれの母が読み聞かせてくれ、古典の言葉を教えてくれるのが楽しかった。文語の言葉遣いが好きになったのは母の影響です」。句集には「夕べ子は母へ帰りぬ立葵」「春星や忘れさうなるははの声」など、母を詠んだ句が多くある。

 俳句を始めたのは五十歳頃から。一九八七年(昭和六十二年)に故・後藤軒太郎氏主宰の「舷燈」に入会し、九〇年(平成二年)に同人となった。後藤氏の思い出を聞くと「私は二男六女の末っ子で、いかにも末っ子らしい感性がいくらかあったと思います。後藤先生はそれを個性ととらえて指導して下さった」。あさひかわ新聞の俳句欄にも、後藤氏が選出した檜垣さんの句「倒木の跡になだれし鳥兜」など多数が掲載された。舷燈のほか「鷹」「広軌」「東京広軌」「蒼花」でも同人として活動してきた。

 句集は、創作期間の平成元年から同二十七年までを三つの時代ごとに、「野火」「白玉」「名残雪」の章に分けている。章の名前は、その時代の中で最も印象に残る句の季語だ。「男来て野火のにほひを残し去る」「手品のごと母は白玉作りしよ」「小津映画みていつまでも名残雪」

 出版のきっかけは、昨年傘寿を迎えたことだった。「三十年で多くの俳句を詠み、一冊にまとめておけば子どもたちに残してあげられると思っただけで、受賞なんて考えてもいませんでした。それならもう少し練れば良かったかなと思っています。これから感性は衰えていくでしょうが、賞の名に恥じないよう、その年齢なりの俳句を作って行きます」と話している。