敗戦の日の八月十五日、召集令状「赤紙」のレプリカチラシを配布し、反戦を訴える街頭宣伝が、今年も宮下通り買物公園で行われた。主催する原水爆禁止道北会議と旭川労働組合総連合、旭川平和委員会のメンバーら約三十人が参加した。

 赤紙の表面は「札幌聯隊區司令部」の名前が入った、当時使用されたものがそのまま印刷されている。

 平和委員会事務局長の由井久志さん(48)は「赤紙の配布を通して、若い世代に戦争の悲惨さを訴えたい」と配布の目的を語った。

 昨年まで赤紙は参加者が手渡しで通行人に配布していたが、今年はコロナ禍の懸念から、配布は一部にとどめ、ほとんどを通行人自身に設置場所から取ってもらう形にした。

 マイクを握った、画家の菱谷良一さん(99)は「敗戦の時、私は末端の一兵卒でした。敗戦が色濃くなると、アメリカ軍の本土上陸に備え、私たちは戦車のキャタピラの下に爆弾を抱えて飛び込んで死ぬ覚悟でした。今ある平和が国民の血と涙でもたらされたものであることを、ゆめゆめ忘れてはなりません」と訴えた。

 赤紙を手にした二人の女子高校生は「赤紙は学校の教科書に出てくるので知っていましたが、実際に見るのは初めてです。普通に生活している時、突然、このような通知が来るというのは大変怖いと思いました」と話した。(佐久間和久)