「牧野富太郎~北の植物学者たちとの交流を辿る~」が二十三日(火)から十月十日(月)まで、東川町のせんとぴゅあⅡ(北町一)で行われます。

 牧野富太郎(一八六二―一九五七)は「日本植物分類学の父」として広く知られる植物学者です。この展示は、偉大な植物学者の牧野と北海道ゆかりの植物学者・研究家との交流や、人となり・業績を紹介する展示です。

 牧野は日本国内ばかりでなく、台湾や満州までも足を延ばし植物の調査をして歩いています。平地ばかりでなく、山にも登っています。北の利尻山には、一九〇三年(明治三十六年)に踏査しています。登山史的にも、きわめて初期の登山だそうです。一九〇九年(同四十二年)には、南の屋久島宮之浦岳を踏査しました。このようにした採集した植物の標本は約千五百種、四十万点にのぼる膨大なものでした。

 同展で取り上げる北海道ゆかりの主な人は―。

 宮部金吾(一八六〇―一九五一)は、札幌農学校出身で北海道帝国大学(現・北大)最初の名誉教授。独学の牧野と違いエリート学者だが、明治・大正・昭和と、牧野と交際しました。

 河野齢蔵(一八六五―一九三九)は、高山植物研究家。一九〇七年、八ヶ岳で高山植物研究会を一週間にわたり開催し、牧野を講師として招いています。

 小泉秀雄(一八八五―一九四五)は、「大雪山の父」として知られる植物研究家。自分と同じく学歴のない牧野に親近感と敬愛の気持ちを持っていました。何らかの交際があり、小泉家には牧野の年賀状が遺されています。