日中友好を歌に託す

 日中国交正常化五十周年を記念する「日中友好交流の夕べ」が八日、大雪クリスタルホールで行われた。旭川日中友好協会(鳴海良司会長)の主催。市民ら約三百人が参加した。

 元グループサウンズのザ・タイガースのメンバー、瞳みのるさん(76)が記念講演を行い、ヒット曲の「花の首飾り」や、唱歌「旅愁」などを中国語で歌った。

 瞳さんはザ・タイガース解散後、京都府立の高校定時制四年生に復学。一九七二年、慶応義塾大学文学部に入学し、中国文学を専攻。大学院に進み中国文学を研究。七七年に慶応義塾高校の教員となり、三十三年間勤め、二〇一〇年に退職。その間、一九八一年から二年間、北京に留学した。

 留学中、「旅愁」を多くの人たちが口ずさんでいるのを耳にし、「歌詞は違っていても、メロディーは同じ。音楽は普遍だ」と実感したという。日本でも馴染み深い、李香蘭(山口淑子)の「夜来春(イエライシャン)」や「何日君再来(ホーリージュンザイライ)」も中国語と日本語で披露。瞳さんは、日中友好の思いを歌に託した。

 この後、馬頭琴の若手演奏家の第一人者、阿斯罕(アスハン)さんと、日本を代表する津軽三味線奏者の菅野優斗さんの演奏が行われた。

「白夜の騎士」作詞者の妹と面談

 講演前、瞳さんはザ・タイガースの「白夜の騎士」を作詞した、有川正子さん(故人)の妹・神部道代さん(77)と面談し、正子さんとの思い出を語った。

 「白夜の騎士」の歌詞は一九六八年に公募され、二十五万通の中から、当時、富良野市に住んでいた正子さんの歌詞が選ばれ、橋本淳が補作詞、すぎやまこういちが作曲した。

 瞳さんは九年前、道内を公演で訪れた時、ラジオ局に情報提供を呼び掛けてもらい、正子さんが入院している旭川市内の病院を訪れ、歓談している。
 「ザ・タイガースが歌ってこられたのも、有川さんのような方がおられたから。大事にしなくてはならないと、ずーっと思っています」と語る。道代さんが瞳さんの来旭を知り、「姉の代わりに」と面談を申し込んだ時、すぐに応諾したのも、そんな思いからだった。

 道代さんが「姉は昨年八月に亡くなりました。歌詞が選ばれ、一緒に旅行できたことをとても喜んでいました」と回顧すると、瞳さんは「有川さんと同姓同名のプロの作詞家がおり、長い間『白夜の騎士』を書いたのは、その方と勘違いされていました。僕が書いた『花の首飾り物語』の中で、それは違うと指摘しました」と話した。

 開演時間が迫り、身支度のため楽屋に戻った瞳さんの後ろ姿に、道代さんは「本当にやさしい方ですね」とつぶやいた。(佐久間和久)