父から46年前後を継ぐ

 

 菊の湯(神楽五ノ十四、熊谷清志さん経営)が三月三十一日で閉店する。熊谷さん(68)は旭川浴場組合の組合長を務めていることから、関係者に大きな驚きが広がっている。

 閉店の理由について、「燃料費や電気代、資材の高騰、入浴客減による売上の減少、設備の老朽化と八方塞がりの状態で、営業を続けていけば行くほど赤字が膨らみ、一月中旬に閉店を決意した」と語る。


 前年と比べると、廃プラスチックと木材で作るペレット燃料代が約四倍に、電気代が約一・四倍に値上りした。「さらに六月、電気代が再び値上がりするというから、これじゃ、にっちもさっちもいかない。十年ほど前に、近くにスーパー銭湯が二軒も営業し始めたことも、入浴客数に大きく影響したね。オヤジの代から半世紀以上も続けてきたのだから、『まぁ、いいかな』というのが正直なところかな」と嘆息する。

 菊の湯の開業は、今から五十九年前の一九六四年。農業を営んでいた祖父の陸二さんが、熊谷さんの父・勇さんに銭湯開業を勧めたことがキッカケだったという。

 熊谷さんが後を継いだのは、四十六年前の七七年。旭川工業高校を卒業後、千葉県の造船所に勤めていたが、勇さんから「帰って来い!」の電話攻勢に折れ、帰旭。「商売向きの性格でないことは自分で分かっていたし、風呂屋は休みが少なく、儲けないということも何となく感じていたので、本当は後を継ぎたくはなかった。病気がちの父に代わって、間もなく経営を任されるようになった」と振り返る。

 

「年間三日しか休まなかった」

 

 経営を任されるようになってからの四十六年間を振り返り、最も印象に残っているのは「三十六年前、大きな借金を背負い、アパートを併設した三階建ての現在の銭湯を建設したこと」と語る。

 それまで自宅兼の木造二階建てだった銭湯と比べ、浴場の床面積は二倍の広さで、超音波寝風呂や薬風呂、流れ風呂、打たせ風呂、遠赤外線サウナなどを完備していた。「当時は年間三日しか休まなかった」と笑う。

 営業時間は午後二時から十一時まで。朝は九時過ぎから風呂掃除。それから湯を沸かす機械のセッティング。浴槽に湯を張り、営業開始の十分ほど前に客を迎え入れるという毎日を、妻の郁子さん(62)と母の恵美子さん(91)の三人で続けてきた。

 

結婚以来一度も旅行なし

 

 熊谷さんは組合長を十三年務めてきた。顧客が組合員の銭湯を回るスタンプラリーの景品を「ケロリン」グッズにしたり、社会福祉協議会と連携し、浴場をお年寄りが集まる場として提供したりするなど、様々な取り組みをしてきた。

 「任期途中で辞めるのは心苦しいが、手助けが必要な時には、いつでも言ってきて欲しいと伝えています。閉店後も、出来るだけ組合に協力をして行きたい」ときっぱりと話す。

 取材中、「本当に止めるの? 困ちゃう」と言う中年女性に、熊谷さんは「すみません」と頭を下げた。

 閉店後は「少し落ち着いたら、妻を旅行に連れて行ってあげたい。何せ結婚以来、仕事に追われ、一度も旅行に連れて行ってあげたことがなかったからね。それと町内会のお手伝いも、少しできるようになると思っています」と微笑んだ。

 現在、営業時間は午後三時から十一時まで。(佐久間和久)