金子みすゞ生誕百二十年、旭川みすゞ会発足二十二年を記念する特別企画「金子みすゞを語る」と題する対談が六月三日(土)午後六時から、大雪山クリスタルホール(神楽三ノ七)で行われます。対談するのは、デイビット・ジェイコブソンとアーサー・ビナードの二人。旭川みすゞ会(村田和子代表)の主催です。

 

 

 「私と小鳥と鈴と」「こだまでしょうか」などの詩で知られる童謡詩人の金子みすゞ(本名テル)は一九〇三年、山口県大津郡仙崎(今の長門市仙崎)の生まれ。家業が本屋で、幼い頃から読書に親しみます。みすゞが二十歳の頃、童謡童話雑誌が次々と創刊され、北原白秋や野口雨情、西條八十が競って作品を発表します。みすゞが投稿した作品が西條に賞賛されました。

 二六年二月、叔父の勧めで結婚。十一月、娘のふさえが誕生しますが、夫は童謡を書くことや投稿仲間との文通を禁止します。みすゞは体調を崩し、病状も悪化、夫との生活も破綻し、娘を母に預けることを書き残し、自死します。戦争を経る中で、みすゞの名は、人々の記憶から遠ざかっていきました。

 童謡作家の矢崎節夫は大学生の時、『日本童謡集』(岩波文庫)に収められていた「大漁」を読んで強く心を打たれ、みすゞについて調査を始めました。十六年かけて、みすゞの弟・上山雅輔(本名正祐)を探し出し、彼が持っていたみすゞの三冊の遺稿童謡集に五百十二編が収められているのを見出します。八四年、それをもとにJULA出版が『金子みすゞ全集』を出版。九六年には小学校の教科書にみすゞの詩が一斉に掲載されます。二〇一一年の東日本大震災後、公共広告で「こだまでしょうか」がテレビで流れ、みすゞの名は一躍全国に知られることになりました。現在、世界十二カ国で翻訳本が出版されています。

 ジェイコブソンはジャーナリスト、作家。「こだまでしょうか」を二〇一七年、英語圏に向けて米国の出版社から『Are you an Echo? The Lost Poetry of Misuzu Kaneko』を出版。その記念講演を京都、東京、旭川で開催。旭川での出演は今回で二度目となります。みすゞの詩を欧米諸国に広く紹介した人です。
 ビナードは詩人。旭川市民には小熊秀雄賞の選考委員として知られ、〇八年から毎年旭川を訪れています。ニューヨーク州コルゲート大学で英文学を学び、卒業と同時に来日。〇一年、第一詩集『釣り上げては』(思潮社)が中原中也賞を受賞したほか、多くの著書があります。

 村田代表は「二人による対談で、金子みすゞを旭川から世界に送り出したい」と話しています。

 前売りチケットは、一般三千円、高校生・大学生・ハートフル二千円。(当日券はそれぞれ、五百円増)。チケットは、ジュンク堂書店旭川店、こども冨貴堂、冨貴堂末広店、コーチャンフォーミュージックコーナー、大雪クリスタルホールのほか、あさひかわ新聞でも扱っています。
 問い合わせは、村田さん(TEL 080―5581―3567、メール kazukomurata0718@gmail.com)か、五十嵐さん(TEL 090―8274―9055)へ。