運動を始めてから数えると三十三年になるんだぁ、歳をとるはずだよなぁ、とつくづく思う。バブル経済時代の末期、比布町との境界にある突哨山(男山自然公園の名で知っている人が多いかも知れない)にゴルフ場の造成計画が持ち上がったのがコトの始まりだった。雑木林が広がる山は、早春、全山が野草・カタクリの花に覆われ、日本有数の規模を誇る。

 山の麓で農業を営む黒川博義さん(二〇二二年五月死去)がたった一人で、ゴルフ場計画に反対する声を上げ、賛同する市民が一九九一年七月、突哨山の自然を考える会(後に突哨山と身近な自然を考える会に改称)を結成して様々な活動を展開した。カタクリフォーラム、自然観察会、シンポジウムや講演会、親子写生会、俳句を詠む会、ブッポウソウの鳴き声を聴く会、芋煮会などなど、今にして思えば、よくぞやったものだと感心するような奇抜なイベントの数々を、次々に企画・開催した。会員は仕事だったり、小さな子どもを抱えたり、それぞれ生業を持つ、立派な社会人たちの集団であった。

 バブル経済の収束という社会情勢もあって九四年、ゴルフ場計画は破綻し、東京の開発業者に買い取られた突哨山一帯の土地は競売にかけられた。最低売却価格は、約二億一千万円。「考える会」は九八年から、公有地化を求めて署名運動を始め、四万筆を超える署名簿を市と市議会に提出。こうした市民運動の声を受けて、当時の菅原功一・旭川市長は、二〇〇〇年五月、比布町と共同で競売に参加してゴルフ場予定地百五十一㌶を買い取り、公有地化が実現した。自然環境の保全を目的に市が広大な緑地を買収するのは市政史上初めてのことだった。

 〇三年、公有地となった遊歩道の一部が民有地と重なっていることが判明。「考える会」は全国の会員に募金を呼び掛け、旭川刑務所近くの、突哨山の遊歩道入り口に当たる土地八千五百九十三平方㍍を百六十五万円で買い取って、「カタクリ広場」と名付けた。その後、広場には東屋やトイレ、ビニールハウスを整備して、様々なイベントの会場として活用し、また自然散策に訪れる市民が自由に利用できる場として使ってきた。

 三十年以上の活動歴がある「考える会」だが、法人格を持たない任意団体。カタクリ広場の所有は、ベテラン会員三人の共同名義になっている。その一人、黒川さんが昨年亡くなったことで、土地の名義を含めて、「このままでは、ダメでないか。何とかしないと」との意見がメンバーの中から上がった。春の「カタクリフォーラム」の運営に関わるメンバーを中心に何度か集まって議論を重ねた。

 様々な意見があった。