東日本大震災による福島原発事故が起きてから、十四年目となる三月十一日がもうすぐやってくる。

 旭川では事故が起きた金曜日に毎週、「原発禁止」「原発反対」などと書かれたゼッケンを胸と背に付けて、四条買物公園で午後三時から三十分間、無言で立ち続ける「金曜広場」の活動を今も続けている人たちがいる。

 事故発生翌年の二〇一二年六月二十九日の金曜日から始まった。当初から参加し、今年一月に亡くなった元高校教諭の清水次幸さん(享年八十一歳)は「東京に出張した知人が国会前で『原発禁止』と訴える人たちを見てきて、帰旭後、酒席で『旭川でも何かやらなくちゃ』と口にしたのが始まりです。政党や団体、組織とは一切関係なく、皆さん、地球上から原発をなくすことを目的に個人の意思で参加しています」と話していた。

 昨年十二月まで午後六時から、一時間~一時間半活動していたが、高齢化で夜の活動が難しくなってきたことから、午後三時からに切り替えた。

 一日、六百五回目となる「金曜広場」に、気温マイナス二度の中、七十代から八十代まで六人が集まった。

 比布町からバスで毎週参加している七十代の女性は「東京に住んでいた時は『反原発』集会に参加していました。比布町に移住してきて、新聞でこの活動を知って参加するようになりました。能登半島地震で、もし志賀原発が事故を起こしていたら大変なことになっていました。全ての原発を廃炉にすべきです」とキッパリ話す。

 氏家正実さん(77)は「昼間の活動だと、若い人は仕事や学校で参加は難しいと思いますが、気が向いたら、ちょっとの間でもいいですから、立っていただけたら嬉しい。原発の問題は、これからを生きる若い人たちにとって本当に重要な問題だと思いますので…」と呼びかける。

 当初から参加している荒康子さん(84)は「こうして立っていると『私も原発反対です』と声をかけてくれる学生さんもいます。逆に『原発がなくなると、電力不足になる』と言ってくる人もいますが、その時は再生可能エネルギーを例に出して、話し合います。この活動を続けて来られたのは、原発をなくしたいという一念からで、清水さんの思いも引き継いで、これからも続けていきます」と決意を語った。(佐久間和久)