四十年に及び「旭川のふだんぎ」を主宰してきた岡田勝美さん(96)が、『河合慶子 岡田勝美 作文・記録集 第四巻 二人、「夢」追いの記』=写真=を出版した。
「ふだん記」は一九六八年に東京都八王子市で書店を営んでいた橋本義夫氏が「庶民自らが、庶民の歴史(自分史)を記録する」を提唱して始まった運動。「ふだん着」の気楽さで上手・下手を競わず、自分の言葉で日頃の思いや生活体験を記録しようと名付けられた。
岡田さんは「旭川のふだんぎ」の最終号七十四号を出した後、妻・慶子さんと自らが書いた作文と記録集の冊子作りに取り組み、これまで三巻を出してきた。
四巻の「あとがき」で「私と慶子さんの作文・記録集は、第一・二集で河合家と岡田家の歴史に関するそれぞれの文をつなぎ終戦前後まで載せた。第三集は殆ど私の小学校・旧制中学校・陸軍士官学校・東京高等師範学校の思い出を中心にまとめた。他に私の弟・息子・娘・知人の文も入れ、『ふだんぎ』には載せにくい二人の文章―『グラフ旭川』や『あさひかわ新聞』のコラム欄に書いた文は二・三巻に入れた」と書いてある。
四巻の扉には「一九五〇~二〇二四」とあり、東京高等師範学校を卒業後、旭川東高校、岩内高校、旭川商業高校の勤務時代、定年退職後の活動について書き、「ふだん記」の創始者・橋本氏の活動や思いにも多く触れ、妻・慶子さんや二人の子ども、そして「ふだんぎ」運動を支えてくれた大勢の人たちの活動に感謝し、謝辞を表している。全三百六十二㌻。
表紙には、慶子さんが笑顔で長男の琢美さんを抱く写真。文中にも、たくさんの家族やふだんぎの集まりの、「よく保存してあった」と思われる古い写真なども掲載されている。
河合・岡田家と岡田さん家族、そして岡田さんと慶子さんを取り巻いた多くの人たちの歴史を、もれなく、すくい上げた“一大絵巻的”な四巻となっている。
岡田さんは「ここまでで、結婚後の私と慶子さんの生き方のあらましを書き終えた。…これで二人の人生全巻の終わりとなると思うが、もうまだ私の命に余裕が与えられるようなら、慶子さんの短歌の全て、私たちの書いて来た文の残りをまとめたいと思うのだが欲が深すぎるかもしれない。二〇二四年、私は九十六歳である」と今後の活動にも意欲を持っている。
また表題について、次のように描いている。「私と慶子さんは、結婚後いろいろな社会運動に参加して来た。二人には共通の『志(こころざし)』、明日の国、社会のあり方についての夢が心を占めていた。大げさな表現で笑われるだろうし、未熟なものとして批判もされるだろうと思うけれど、簡略に書けば、この国・社会・世界のあり方はよくない。『世直し』の為の知的に啓(ひら)かれた仲間づくりのできる活動をしたいという思いであった。それぞれ目的の違った活動であっても、この、遠くを見据えた世直しの夢は通底していた。その夢を追って、私と慶子さんは貧しいながら寄り添って生きて来たと思っている。未熟な思想、願い、夢であろうし、将来の具体的な姿を描き得ていない点では恥ずかしいけれど、それが、この第四集の中身である」と締めくくっている。(佐久間和久)