img終戦間近の一九四五年(昭和二十年)六月に家族とともに上川郡上川村(現・上川町)に移住し、庁立旭川中学校夜間部(現、旭川東高校定時制)に入学した経験をもつ石山彰さんが同高の旭東奨学会に一億七千万円を寄付した。石山さんはすでに今年一月三十一日以前に亡くなっており、寄付は石山さんの遺言によるものだという。

同校の冨樫一憲校長によると、石山さんは東京高等師範学校附属中学校に在学中の一九四五年五月、空襲で住宅を焼失した後、旭川中学校夜間部に入学し、美瑛町で援農作業に従事したという。翌年五月には帰京し、東大仏文科を卒業している。音楽教室を主宰しており、結婚歴はなく、子どもはなかった。数年前から旭川市内に在住しており、自宅で亡くなったという。

遺言には「旭川中学校夜間部に在学中は良い環境、先生、友人に恵まれ、その後人生の原動力となった」として旭東奨学会に寄付する旨が書かれており、その使い道については、同会の事務局に一任するが「有意義なものになるよう祈念します」と結ばれていた。

寄付の連絡は今年三月、住友信託銀行池袋支店から電話があり、六月二十五日に同支店から二人の行員が来校し、遺言を伝えた。そして翌二十六日に開かれた同会理事・評議委員会で寄付の受け入れを決めた。同会理事長の山田稔さんは「知らせを聞いた時は金額が大きいだけに大変驚いたが、石山さんの遺志を生かすため奨学生数の拡大や金額を増やすなど、有意義な使い方をみなさんで話し合いながら決めていきたい」と語る。

旭東奨学会は一九二三年(大正十二年)に創立された私立旭川中等夜学校が昭和初期の経済不況で廃校の危機に瀕した折、木材業界の第一人者の松岡源之助が寄贈した莫大な山林と有価証券をもとに同会の前身となる財団法人旭川夜間中学を設立したことに始まった。現在は全日制生徒六人と定時制生徒二人に年間五万円の奨学金を出す事業などをおこなっている。