東旭川のペーパン地区に伝わる郷土芸能について学びながら、住民が地域の未来を語り合う集いが十一日、旭川兵村記念館(東旭川南一ノ六)で行われた。

 ペーパン地区とは、牛朱別川支流のペーパン川によって形成された渓谷原野を指す。地域の人々は、下流部の豊田を下ペーパン、上流部の米原・瑞穂を上ペーパンと呼ぶ。

 旭川市で伝承されている郷土芸能には、アイヌ古式舞踊(旭川チカップニアイヌ民族文化保存会)、笠踊り(嵐山笠踊り保存会)など九つがある。そのうち下ペーパンには富山県黒部市若栗地区から永山・当麻を経由して伝わった「豊田獅子舞」が、また上ペーパンには福島県伊達市の踊りに由来する「ペーパン福島踊り」が伝えられている。

 集いでは、市社会教育部文化振興係の佐藤太一さんが講師を務め、豊田獅子舞とペーパン福島踊りの由来や近年の活動について、動画を上映しながら講演した。どちらも昔は数少ない娯楽として親しまれてきたが、地域の人口減少による後継者不足が問題になっている現状などを説明した。

 講演に続いて、参加者による茶話会「ペーパン地区の今昔、そして未来」が行われた。

 上ペーパンは、下ペーパンと比べて、標高が百㍍ほど高く、気温も水温も低いため、稲作普及は大正初期になってからと遅かった。このため上ペーパンでは、ハッカや菜種、除虫菊、亜麻など「特用作物」を多く栽培して収入にしてきた。またドロノキを材料にしたマッチの軸の工場や、クルミの木を育てて小銃の銃床を作っていたこともあったという。青エンドウからでんぷんを作る工場が十数カ所あり、一九一九年(大正八年)には価格高騰で好景気をもたらしたが、大正十年以降は工場閉鎖、倒産が相次いだ。

 茶話会では「かつて上ペーパンはダイコンの産地だった。当時は土壌が火山灰でダイコンに向いていた」との話題が持ち上がった。これについて年長の参加者から「労働力をどう集めるかは問題だが、旭川市内のダイコンの需要をまかなえる規模になるはずだ」との意見が出た。茶話会の終了後、実際にダイコンを栽培していた農家の人の「長い年月の間に、ダイコン畑の火山灰は風や雨で流れて粘土質の土壌に変わったため、ダイコンの安定生産には向かなくなった」との話も聞かれた。

 このほか、上ペーパンにある市有のキャンプ施設、二十一世紀の森について、「スキーコースや登山道を整備し、地域の活性化に活用すべきだ。この施設を充実させて、自然豊かな環境にあこがれて移住してきた人たちに雇用の場を作るべき」などの意見が出ていた。