福島県郡山市で原発事故の問題について発信する情報誌「こどけん通信」(「こどけん」は「子どもたちの健康と未来を守るプロジェクト」の通称)の編集員である根本淑栄さんと、編集員でフリーライターの吉田千亜さんの講演会「13年目の福島」が十月二十七日、即成寺(市内五ノ二十五)本堂で開かれた。二人が福島第一原発の事故当時を振り返りながら、福島の「今」について報告した。

 講演会の冒頭で根本さんは、「復興」の掛け声が強い中で、「放射能が心配」という思いをなかなか声にできない状況に危機感を覚え、ネット環境がない人たちにも情報が届くようにと「こどけん通信」を始めた経緯を説明。事故直後、郡山市には避難指示が出なかったこと、放射線量が危険な数値だとわかっている人がいたにもかかわらず、県立高校の合格発表が例年通り屋外で行われたことを回想し、自分たちは「棄民=捨てられた民」なんだと感じた当時の心境を語った。また、「牛乳を飲むのをやめて」と息子に言ったことで親子関係がギクシャクするなど、同じ被災者の中でも考え方や感じ方に温度差があり、それが分断を生んでいる現状についても訴えた。「若い人に除染作業をさせないでほしい」と願い出た市民に対して、市職員が「自分たちの町を自分たちできれいにしないでどうするんですか」と答え、それに対して人々から拍手が起こって怖さを感じたこともあるという。

 「売れなくなった地元のシイタケを子どもたちに食べさせたのは、安全だということを証明したいがため。まるで『みんなで被曝しよう』と言っているかのよう」と、根本さんは憤りを隠さない。

 続いて吉田さんがプレゼン資料によって福島の現状などを解説。被災地で増えている子どもの甲状腺がんについて、国はいまだに因果関係を認めていないことや、自主避難者への住宅支援の打ち切り、借り上げ住宅を退去しない人たちが国から訴えられるという現状などについて説明した。「放射能は目に見えないし、臭わないもの。国はオリンピックのために、目に見える被害、つまり『避難者』『人のいない町』『フレコンバッグ』『モニタリングポスト』を消していこうとしたんです」と吉田さんは話す。

 根本さんは講演後の質疑応答の中で、「このままでは被曝のし損。本来話すのは苦手だけれど、伝えていかなければ」と述べた。「どういう賠償のしかたが正しいと思うか」という質問に対しては、「元に戻してほしいのが正直な気持ちだけれど、(それは無理なので)せめて罪を認めてほしい」と答えた。
 講演会には五十人ほどが参加。集まった参加費は「こどけん通信」編集部に寄付された。(岡本成史)