一九八二年(昭和五十七年)から、小熊の生涯や作品を愛する人たちが集い、その命日に近い日に、主に臨終の地東京・池袋で開かれていた「長長忌(じゃんじゃんき)」が今月二十四日(土)、初めて旭川で開催される。小熊秀雄協会(東京)と小熊秀雄賞市民実行委員会(旭川)の共催。
「長長忌」の命名は小熊の代表的な長編詩で、先の戦争時の朝鮮半島を題材にした「長長秋夜(じゃんじゃんちゅうや)」に由来する。二〇二四年秋には、小熊の生まれ故郷の小樽で開催され、今年、小熊が青春時代を過ごし才能を開花させた地、ここ旭川で開催される。
長編詩「長長秋夜」について、小熊秀雄賞市民実行委員会が編集した詩集『日韓対訳 長長秋夜』(二〇一七年)の佐川亜紀さんの「解説」を紹介しよう。佐川さんは、日本の詩壇を代表する詩人の一人で、創設から六十回を数える小熊秀雄賞の最終選考委員も務める。
――小熊秀雄は、日本が朝鮮半島やアジアに侵略の手を伸ばしていく一九〇一年に生まれ、民衆が戦争になだれこみ、飢餓と死におびえる暗い時代に、批判精神とユーモアに満ち自由な想像力を駆使した詩を灯のように書き続けた。多くのプロレタリア詩人が弾圧により沈黙させられたとき、一九四〇年に三十九歳で亡くなるまで病気と貧乏と政府の検閲に苦しみながら、抵抗の表現と創作の意欲が止むことはなかった。
一九一〇年締結の「韓国併合」について日本の文学者が疑問や怒りを抱くことは残念ながら少なかった。朝鮮人民の悲しみや憤り、植民地支配の過酷な実態を思いやることもできなかった。その中にあって、小熊秀雄が長編詩「長長秋夜」を執筆し、詩誌「詩精神」に発表したのは大変注目すべきことである。(中略)
一九三七年に日中戦争が始まって以降、締め付けが極限に達しファシズムが日本と朝鮮の詩人に襲いかかる。死にのめりこむ日本の最後の人間らしい息づかいのごとく小熊秀雄は創作した。
強く朝鮮の歌をうたいだす
黒く汚れた白衣を棒(パンチ)でうつ
うつパンチも泣いている
打たれる白衣も泣いている
うつ老婆(ロッパ)も泣いている
打たれる石も泣いている
すべての朝鮮が泣いている
――「長長秋夜」部分
植民地支配や侵略を「内鮮一体」「一視同仁」の言葉で美化した日本は、「すべての朝鮮が泣いている」と感じることはなかなかできなかった。ほとんどの詩人は日本語や日本文化の押し付け、皇民化教育を非道とは思わなかった。支配しながら朝鮮の文化や風習への関心と尊重は乏しかった。(後略・引用終わり)
長長忌の中心行事は二十四日(土)午後二時から、旭川文学資料館(常磐公園内)で始まる。まず、講演と朗読会。講師は旭川郷土史ライターの那須敦志さん。「旭川が小熊秀雄にあたえたもの、小熊秀雄が旭川にもたらしたもの」と題し、豊富な映像を交えて話す。朗読は、道教育大旭川校の近代文学ゼミ(村田裕和教授)の学生たちと、演劇集団シベリア基地のメンバーが小熊の詩を朗読する。参加費は千円(二十五歳以下は五百円)。
(工藤 稔)
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