仙台に行って来た話の続きを。

 前号で紹介した、震災直後から被災地で炊き出しを続けている“ラーメン屋さんつながり”の方々とお会いして話を聞かせていただいたのは、仙台市の 繁華街、国分町にある小さな居酒屋。いいお店だった。女将は歳の頃…、いやいや話はそこではなくて、驚いたのは国分町の賑わいだった。午後十時を過ぎて も、通りは人の波である。大げさではなくて。

 居酒屋を出た後、もう一軒ということで向かった店は、満員で入れず。案内してくれた方は「あの店で、こんなこと初めてだなぁ」と言いつつ、もう一 軒知り合いの店に行ったのだが、そこも満員御礼。ようやく「三月十一日以後、スナックは初めてだなぁ」と道に迷いながら入った店の女の子に言わせると「震 災前より、全然景気いいです。震災特需ですよね」ということだった。

 未曾有の震災である。向こう十年間に、十八兆円だか二十兆円だか、とてつもない巨費が間違いなく投じられる。すでに、建設・建築関連の企業をはじ め、不動産、保険などなど、復興復旧に関わる分野の人員が仙台市に投入されてホテルは満室状態が続く。果てしない値引き合戦が続く旭川とは大違いで、宿泊 したビジネスホテルの部屋は三畳間ほど、ドジョウの寝床みたいなシングルルームが、一泊七千七百七十円也。値引きなし。正当な商売をなされている。

 焼け野原と極度の食糧難の戦後の復興期も、国費が潤沢に投じられたわけではないが、軍人・民間人合わせて三百万人以上の国民が命を落とした災厄か らの再興を信じる国民のエネルギーがあって、加えて朝鮮戦争という隣国の災難が特需を生んで、その後の高度経済成長の時代へとつながったのだろう。つまり は、災害がもたらす好景気か。不景気風が強まるばかりの我が旭川は、地震はないし、台風にも滅多に襲われないから洪水禍も昔話みたいになっている。安全・ 安心なまちの“報い”として、景気が悪くても仕方ないか、なんて、少々物騒な想像をしたりした。

(工藤 稔)

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