旭川地域の文学の分野に大きく貢献した石川郁夫さんが六日、直腸がんのため亡くなった。八十七歳だった。

 石川さんは一九三七年(昭和十二年)、礼文島船泊村(現礼文町)生まれ。利尻島沓形村(現利尻町)と稚内市で幼少時を過ごす。旭川東高から道学芸大学旭川分校に進み、卒業後は主に旭川市内の中学校で国語を教えた。教師としての仕事の傍ら、同人誌「文芸北国」を主宰、「愚神群」「VIТA」の同人として作品を発表し、亡くなるまで同人誌「ペタヌウ」の編集人を務めた。

 また、小熊秀雄賞市民実行委員会の設立に力を注ぎ、同会が運営を引き継いだ〇八年の第四十一回から五十一回まで、最終選考会の司会を務めた。さらに地元文学者の評論なども手がけ、二〇一八年度の北海道新聞文学賞(創作・評論部門)で、「佐藤喜一――記録への傾斜・内的表白の封印」が佳作入賞している。亡くなる直前まで、旭川ゆかりの作家・木野工(一九二〇―二〇〇八年)の評伝を執筆していた。この原稿が絶筆となった。
 第五十七回小熊秀雄賞の報告のため五月十三日にお会いした折には、元気な様子で、「書けなくなったよー」と笑っていたのだが。残念だ。ご冥福を祈る。

 「いつ死んでもいいように、ね」と二年ほど前から家人が断捨離を始めた。本人は乳がんを患って十三年、丈夫だけが取り柄のはずの亭主に二年前、大動脈瘤が見つかって入院・手術。「二人ともいつ逝くか分からない」と覚悟を決めたようなのだ。

 衣類の整理をあらかた終えて、本やら書類やらの処分に手を付け始めたところで、新聞の切り抜きを見つけたそうだ。「それがね、読んでみると面白くて、捨てるところまで行かないのよ」。そんな家人のスクラップの一枚、二〇一四年九月十五日付の朝日新聞社説。ちょうど十年前だ。見出しは「進む円安 負の側面に配慮が必要」。社説は次のように始まる。

 ――円安が進んでいる。一㌦=一〇七円台と六年ぶりの円安ドル高水準にもなった。
 年明けから一〇二円前後で安定していた円相場が八月下旬から円安に傾いてきたのは、日米の景況感の差と、それに伴う金融政策の方向の違いが鮮明になってきたからだ。(引用終わり)

 社説は、輸出が多い大手自動車メーカーなどでは、一円の円安が百億円単位の収益改善につながるとか、十円円安になるとも営業利益は上場企業全体で約一兆九千億円増えるとか、そんな話がダラダラと続き、

 ――円安は、輸入食品やエネルギーの価格上昇を招き、消費者の懐にも影響する。

 とちょっと庶民の立場に触れて、最後は次のような結論になる。

 ――それでも日銀の黒田総裁は現在の円安について「日本経済にマイナスになるということはない」という立場だ。輸入物価の上昇は日銀の目標である「物価上昇率二%」の達成を後押しする。何より、金融緩和を起点とした円安・株高はアベノミクスの柱の一つだ。
 しかし、経済の状況は、円安の負の側面への配慮が必要になっていることを示している。(引用終わり)

 二〇一二年十一月までは一㌦七十円台だったのが、二〇一二年十二月に第二次安倍政権が発足し、アベノミクスを唱えてから急激に円安が進む。二〇一三年一月には一㌦九十円台に、四月には一㌦百円近くまで円安が進んだ。そして、この社説が載った二〇一四年九月には、一㌦百七円で大騒ぎ。それがなんと十年後の今や、一㌦百五十五円。十二年の間に、円の価値はちょうど半分になってしまった。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

●お申込みはこちらから購読お申込み

●電子版の購読は新聞オンライン.COM

ご意見・ご感想お待ちしております。