今月七日、月曜日、翌日発行の紙面の校正を終え、午後からフラリと買物公園のこども冨貴堂に立ち寄った。店の奥のギャラリーで、偶然、アトリエ・トムテの作品展が開かれていて、「あらぁ、随分レベルが高くなったなぁ。教える人の力って大事だなぁ」とつぶやきながら、トンボの模様が描かれた陶器のピッチャーを買った。そして、店を出たところで会った写真家・野原典雄さんに、「小河先生、さっき亡くなったとよ」と聞かされたのだった。野原さんと小河さんは嵐山ビジターセンターの仲間だ。

 小河幸次さん、享年五十九歳。福岡県久留米市の出身。今年三月に退職するまで、東海大学芸術工学部の教授だった。知り合ったのは、突哨山の雑木林をゴルフ場開発から守ろうという市民運動が始まった、九〇年頃だったと思う。私は歳を食った新米記者で、その運動を取材するというよりも、ほとんど当事者としてのめり込んでいた。確か、小河先生が嵐山と突哨山の散策路を比較する実験をしたという記事を書いた記憶があって、二十年以上も前のスクラップブックを開いた。

 あったあった、一九九一年(平成三年)九月六日付の日刊旭川新聞(廃刊)に小河先生に取材した記事が載っていた。そのサワリを紹介すると――

 「ハイキングコースとしての適正度を、運動生理学の分野から確かめるテストを行ったのは、道東海大芸術工学部の小河幸次助教授らのグループ。当日の参加者の中から三十代、四十代、六十代の男性と、六十代のリハビリ治療中の女性四人に、時間の経過を追って脈拍数(一分間)や血圧を記録できる小型モニターを付けてもらって実施した。そのデータにコースの高度、傾斜、周囲の状況などの条件を重ね合わせることで、コース全体が心臓に与えるダメージを割り出そうという方法」

 「小河助教授は、この季節と気温が類似している今年六月、嵐山連山で行った縦走の際にも同じモニターを使用してテストを実施している。二つのデータを分析することで得たグラフを前に、『(突哨山が)子供からシルバー世代まで、幅広い年齢層が一緒に山歩きを楽しむことが出来るコースであることが、はっきりと分かります』と説明する」

(工藤 稔)

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