前週の続きです。愛別町で「あんふぁん自然卵農園」を営む村上謙一さんが、本紙に連載しているコラム「コケコッコー便り」(六月二十四日号)で、「今年は国連が定めた『国際家族農業年』です」と書いた。農業者である村上さんも、つい最近まで知らなかったという。国連がこれまで一貫して推し進めて来た「大規模化と市場自由化」という農業政策では世界の飢餓や貧困はなくならない。むしろ逆で、「家族農業への回帰こそが、環境に優しく、持続可能で、生産性が最も高い」という事実にやっと気付いた。その帰結としての「二〇一四年は国際家族農業年」だというのである。

 「大きい」とか、「強い」とかいうだけで反発したくなる性分の私は、この「国際家族農業年」という、和風で優しい言葉の響きに惹かれた。小さな島国の、律儀な性格の、欲張りじゃないはずの民族が目指すべき農業の大きな流れは、これではないか、そう直感したのだ。

 振り返って眺めれば、今まさに、日本の農業を壊滅へと導くTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉が不気味に静かに大詰めを迎える気配。つい先日は安倍首相がオーストラリアとのEPA(経済連携協定)に調印している。安い農産物がどんどん輸入され、国内の農家の淘汰は加速度的に進むだろう。兼業や小規模、いわゆる「家族農業」は消滅に向かわざるを得ない。「国際家族農業年」とは全く逆の方向に突き進む日本農業には、明日はあるかも知れないが、二十年後、三十年後はないんじゃないか…。

 こんな話を、企業化、集約化、規模拡大に活路を求める友人の農業者にしたら、彼は眼を三角にして反論する。「農業の規模が大きくなることによって、農薬や化学肥料が大量に使われるから環境汚染が進むということは絶対にない。例えばの話、オレたちは『安全』とか『信用』とか、買ってくれる消費者のことを考えるから、農薬でも、除草剤でも、化学肥料でも、ギリギリのところで使う。ところが、世代とか、時代ということなんだけど、うちのばあちゃんなんか、化学肥料も、農薬も、『こんないいものはない』と思ってるからさ。自家用の小さな畑で作る野菜なんか、害虫に全く食われていない、ピッカピカだ。家族農業が環境に優しいなんて、遠い昔の幻想じゃないのか」と。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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