二十一日付の「朝日川柳」の一句。
「そのうちに赤紙がくる市町村」
個人情報にひどく神経質に見える世の中にあって、自衛官の募集に協力しない(若者の名簿を提供しない)自治体が六割もあるから、憲法を変えろと主張する総理大臣。同日付「声」欄には、「自衛官募集問題に潜む怖い流れ」の見出しで、千葉県の男性が書いている。「問題は、安倍首相が自治体が協力しないことを非難し、返す刀で『国民は国を守る義務がある』と言い出すのではないかという心配です」。
さらに問題は、安倍首相の危険な発言を聞き流す雰囲気が醸成されつつある状況ではないか。枕はここまで。
ここ三回、市庁舎の建て替えについて書いた。小欄を読んでくれた女性経営者から、メールが届いた。現赤レンガ庁舎を残して活用しようと考えている一人だ。二〇一六年十二月、建設当時の現場でレンガを積む仕事に携わった会社経営者にインタビューをしている。その原稿を送ってくれたのだ。彼女は、次のように書く。
――インタビューのファイルを送ります。(ひらけますか?)
これを読むと改めて、当時建設に関わった人たちがどんなに思いを込めて、どんなに努力をして、あの素敵な建物を建てたのかがわかります。この方たちは、市庁舎がまさか六十年で解体されるとは思っていなかったでしょうね。
新庁舎の現状を見ていると、これを超える建物が建てられるとは思えません。鈴木さんも、あんな建物はもうできない、と言っていました。私はまだあきらめきれません。
インタビューを受けたのは、鈴木産業(旭川)の社長鈴木徳雄さん(当時83・二〇一八年八月七日死去)。こんなふうに始まる。
――どんなきっかけで市庁舎建設に関わったのですか?
私は昭和三十一年に大学を卒業して、父の会社「鈴木産業」に入社しました。当時一条七丁目に営業部があって、衛生機器の販売をしていました。住宅需要が活発で、便器や洗面器がよく売れた時代です。旭川市庁舎は昭和三十三年着工ですが、大変な突貫工事だったのを覚えています。施工は戸田建設(当時戸田組)。当時は旭川に支店がなく札幌支店でしたが、桑沢商店(現クワザワ)にレンガ工事を依頼し、それがうちに流れてきたんです。(中略)
――突貫工事は大変でしたでしょう。
レンガの量が多かったのもあるが、レンガは仕上げ工事なので、前工程の遅れをすべてかぶることになります。徹夜仕事をずいぶんやっていましたね。
――工事はどんな様子でしたか?
(工藤 稔)
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