六十歳代後半の男性読者からメールが届いた。小紙が創刊したのは一九九三年だから、その直後から読んで頂いている読者である。小紙前号一面の「旭川大学の公立化」についての記事と、私もいささか関わった「ものづくり大学の開設を目指す市民の会」に対する意見を述べられている。紹介しよう。


 ――前略 一九九四年 家族共々旭川に移住して間もなく「あさひかわ新聞」を会社で目にして読み始め、引退後は購読申し込みをして自宅で拝読させていただいております。

 最初は旭川の街を知るため、そして子供たちの部活のニュースを見るためでしたが、子供達も巣立ち仕事も引退した今は「編集長の直言」と「田中良太のニュースを読む」を毎週楽しくそして関心をもって読まさせていただいております。また月一回の養蜂家 小榑氏のエッセイも楽しみにしております。

 さて今週号で旭川大学の市立化に関する記事を拝見しペンを執った、いやキーボードに向った次第です。

 本件に関しては仕事の絡みもあり人一倍関心を持って経緯を見守ってきました。特別委員会の最終報告の方向性が明らかになって残念な気持ちと、一方でこれまでの議論では市立大学を創設できたとしても、果たして大学の運営が順調に継続できうるかとても不安な気持ちもありました。

 少子高齢化が急速に進行する現状において、全国の既存の大学が学生を確保するためにしのぎを削っている中で、それらと差別化できる独創的な学部、カリキュラムを持った具体的な設立案が示されなかったのが残念でなりません。

 そもそも本件の発端は故長原氏が、道立職業訓練校が廃止された頃より「家具の街 旭川」の将来を担う人材育成機関を設立したい「思い」を描いており、東海大学旭川校の閉鎖をきっかけに「公立ものづくり大学」の創設を働きかけたのがスタートでした。また自ら家具作りを学んだドイツの「マイスター制度」を目指していました。

 その「思い」で市民の会を立ち上げましたが、途中から旭川大学の公立化へと流れが大きく変更され、地元の私立大学救済運動になってしまったことで有識者会議や特別委員会での議論が二転三転し時間が経過していったことも事実ではないでしょうか。

 コンサルティングの報告も具体的な内容に乏しく「玉虫色」の結論だったと感じました。

 市民の会も昨年「一定の役割を終えた」かのようなコメントを残し活動を休止したようですが、ボランティアで頑張っていただいたスタッフの方々には敬意を表しますが、何か割り切れない気持ちも残ってます。

 間もなく統一地方選そして参院選です。市長は昨年、再選されましたが、新たな議会では旭川市の二十年、三十年先の「ビジョン」をしっかり議論していただきたい。そしてその中で旭川市に「公立大学」が本当に市民にとって必要かも議論していただきたい。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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