三日付の夕刊と四日付の朝刊各紙に、焼却施設の廃棄物投入口に放り込まれる米袋の写真が大きく載った。農家の友人から届いた、とれ立ての新米の味をかみ締めながら、思う。「なんともったいないことをする国なんだろう…」と。

事故米の事件が起きて、改めて「ウルグアイ・ラウンド」とか、「ミニマム・アクセス」などという言葉を思い出した。簡単に言えば、日本は高い関税を課して事実上の輸入禁止を続ける代償として、一定量の米を輸入する枠を設けるという国際的な約束をした、ということ。一九九四年(平成六年)、当時の細川内閣が受け入れを決めた。日本が唯一、自給率一〇〇%を維持できる米までも、輸入せざるを得ない状況になり、以来、国内の農家に減反を押し付けながら、年間数十万トンもの米を輸入し続けてきた、という実態がある。

農家の友人に聞いてみた。「ミニマム・アクセスについては、外国との貿易に関することだから、情報もないし、勉強もしていないけど」と前置きした上で、「政府は、約束した量を買い入れなければならない義務がある、と国内向けに説明してきたけれど、そうではなくて、米を輸入する門戸を開いていればいい、という話じゃない。日本の外交の力が弱いから突っ張り切れない、そんなところじゃない?」と説明してくれた。こんなところに、国の力、外交交渉の優劣の影響が現れる…、少々驚かされるコメントだった。

市内の小中学校の給食に使われた厚焼き卵に汚染米から作られた米粉が混入していた問題が、市議会で取り上げられた。その他にも、病院や福祉施設の給食に、メラミン入りの中国製の菓子が出されていたという話が伝わる。食用に使ってはいけない事故米を偽装して売り飛ばした流通会社を責める、中国の食品関連企業の倫理観を疑う、それも自由だ。だが、ちょっと乱暴に言ってしまえば、私たち日本人は、どこまで怠け者になれるんだろう、そう感じる。中国製の毒入り餃子事件も同じだったが、「手間がかからない」上に、「値段が安い」食べ物を求めたツケが、こんな形で回って来たということだろう。

大阪の米加工販売会社が売り飛ばした汚染米を、新潟県の会社が米でんぷんに加工し、その粉を東京の食品メーカーが厚焼き卵に使う。その製品は、全国津々浦々の学校や病院や福祉施設に流通する。その結果、日本中で同時多発大騒ぎ。

事故米やメラミン入り菓子事件の報道で、スーパーマーケットの前でテレビのリポーターにマイクを向けられた消費者が「何を信じたらいいのか分かりません」と答える。そうか、私たちは、どこの誰が調理したか分からないけれど、きれいにパッケージされた食品は全て安全だと信じて購入し、口に入れているんだ。あぁ、なんと素直で、心優しく、無防備な国民であることか。

毎年米を買わせていただいている、還暦を過ぎてから専業農家になった友人が言う。「いいか、農産物だけは自分で賄えるよう、心の準備をしておけ。自給率四〇%を切っている日本は、近い将来、間違いなくお前が生きてる間に、食料不足に陥る時代が来るゾ。農業を始めて、ますますそれが確信できた。オレと仲良くしておく価値は、そこにあるべ、ハハハ」と。

自宅裏の、まさしく猫の額ほどの畑、今年はキュウリを作った場所に、今朝、馬糞と鶏糞の堆肥をたっぷり入れた。今月末に、ニンニクの種を蒔く予定だ。北海道に暮らす私たちは、大都市・東京に住んでいる人たちの何十倍もの食料自給率を達成できる可能性がある。その自覚が必要だと、自戒を込めて、強く思う――。

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