十月七日付の本欄「事故米騒動と食料自給率について思う」について、読者から手紙をいただいた。名前はなく、「七十歳代の読者より」とあった。文面から推測するに、多分、女性。その一部を紹介する。

――創刊の時から愛読させていただいています。編集長様の書かれる文章に、うなづくことも、私の考え方とは少し違うなと感じることも、いろいろですが、食についてのご意見は、私自身の反省も含め、おっしゃる通りだと思って、ウンウンとうなづきながら読ませていただいています。

今週号の「事故米騒動と食料自給率について」を読みながら、こうした食べ物についての日本の有様の責任の一端は、私たちの世代、七十代や八十代の者にあるのではないかと、子育ての時代を思い浮かべながら、そう思いました。戦中、戦後、私たちは食べることに精一杯でしたから、何時の頃からか(多分、昭和四十年代)、必要以上に贅沢になってしまっていた我が食卓について、鈍感になっていたのです。うどんやスパゲティーやパンや魚、野菜までもが、外国から高い運賃をかけて運ばれて来ているという事実を、最近の食品汚染の騒ぎになって、初めて知ったのです。いえ、知ってはいたけれど、意識していなかった、ということですよね。

編集長様の文章を読んで、私は「今の、行き過ぎた贅沢を見直して、少し時計を巻き戻すべきではないか」と主張しているように感じましたが、いかがでしょう。きっと、昭和三十年代までは無理ですよね。でも、四十年代、五十年代までならば、戻せるような気がします。もちろん、意識としてですが。農業のあり方も含めて、日本の本当の食について、国民みんなが考えるために、最近の様々な騒動や事件が起きているように思えて仕方ありません――。

枕は、ここまで。

「求めている広さに見合う土地が旭川市内にはないだろう、ということは分かってはいたんです。だけど、それにしても、もう少し誠意のある対応があると感じましたね」――隣町に工場を建設中の経営者の談である。一万坪以上の土地を探す段階で市の経済部局に相談した折、担当職員が木で鼻をくくったような対応だったのだと言う。

西川市長は二年前、選挙公約の一つに「企業誘致」を掲げ、今年二月の議会で行った市政方針演説でも「本市の豊かな自然環境などの地域資源を有機的に結びつけ、新たな産業創出につなげてゆく」「私自身、あらゆる機会を通じて本市のPRに努め、企業誘致の実現に向け取り組む」などとカッコよく、力強く宣言された。その施策の一つは東京に住む政府系金融機関のOBを一人、「企業誘致推進員」として配置するということ。その事業費はわずか二百七十万円。すぐすぐ結果は出ないだろうし、期待しない方が良いのだろうが、外から誘って来る前に、隣町に出て行ってしまう企業をつなぎ止める施策を優先した方が良いのではないの?

企業に対する税の優遇措置を講じると、その分、国からの交付金を減額されるという地方自治体の弱みもあるやに聞く。「地方分権」のかけ声とは裏腹に、強固な中央集権の制度を手放そうとしない霞が関のお役人と渡り合うのは、それはシンドイ仕事だということは想像できる。しかし、それにしても、トップの市長を先頭に、窓口・現場の担当者まで目的を共有する庁内意識の構築が、何よりもまず先ではないのか。

中屋副市長が辞職する。五月の機構改革を機に、でもなく、来年度の予算の大枠がすでに決まってしまった、どうにも中途半端な時期の交代という感は拭えないが、世渡りの妙を駆使して三千人を超える市役所組織のナンバー2に登り詰めた方が去った後、市長がどんな人事を見せてくれるか、庁内の職員だけでなく、まちの現状と将来を危惧する多くの市民が注視している。

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